鎌倉の家

アライグマと闘えないなら自然の中で暮らせない

高い天井には太い梁、客間には囲炉裏、 庭に咲き誇る四季の花々、そして家族の食卓――。築90年、風情ある日本家屋で育った甘糟りり子さんが、鎌倉の魅力を美しく鮮やかに描き出します。

卵の美味しさはうしろめたさと比例してしまう

 八月のある午後、外出先から家に帰ると、居間の窓の下に何かがあった。そこだけ光を放っているように見え、生き物が私を待っていたかのようにも思えた。近寄ってみると、蛇の抜け殻だった。きれいな柄で、今にも動き出しそうな形をしている。

 さっきまで命を包んでいたものを触る勇気がなく、少しの間見とれていた。スマートフォンで撮影をして、いったん家に入った。抜け殻を保存しようと思い、適当な大きさの箱を探していると、電話がかかってきた。原稿の催促だった。あわてて書き始めて、すっかり夜になってしまった。

 原稿を書いている間も、抜け殻のことが頭の隅にあった。そのせいかどうか、その夜は不思議な夢を見た。私がみる夢は日常に即した具体的な物語が多いのだけれど、翌朝覚えていたのは抽象的な景色ばかり。海だか空だかわからないところで、そこを漂っているのが自分なのかどうかもわからない。

 妙な気持ちのまま昨日選んだ菓子箱を持って庭に出ると、蛇の抜け殻は跡形もなくなっていた。トビがさらっていったのだろうか。

 夏の終わりに、勢いよく庭を横切る蛇を見かけた。あの抜け殻の蛇のような気がした。

 子供の頃、チャボを飼っていた。元々は父方の祖父が飼っていたものだ。祖父は横浜の住宅街に住んでいて、鳴き声や悪臭には気をつかいながら飼っていたそうだ。家の改装があり、鶏小屋も取り壊されるので、急遽、鎌倉で引き取ることになった。

 時々祖父から届くチャボの卵があまりにおいしかったからだ。黄身は大きくてこんもりと盛り上がり、味が濃い。母は、これが食べられなくなるのはもったいないと思い、決意した。

 庭に鶏小屋が建てられた。雄一羽雌二羽のチャボたちは、それぞれダージリン、クィーン・メリー、オレンジ・ペコと名付けられ、私と弟で鶏小屋に「トワイニング一家」という表札を下げた。

 チャボ一家はすぐに鎌倉の家に慣れたようで、昼間は庭で放し飼いにしていても、暮れる頃にはちゃんと小屋に帰った。庭の森のあちこちに卵を産んで、それを見つけるのは宝探しをしている気分だった。産みたての卵の味は格別で、卵かけご飯が大好きになった。ところが、私たちが簡単に卵を見つけてしまうので、チャボは次第に高い木の枝や崖の穴など探すのがむずかしいところに卵を産むようになった。

 ある時、二階にある自分の部屋の窓を開けたままで出掛けた。急いでいたので、部屋着はベッドに脱ぎっ放しだった。帰宅して、部屋着に着替えようとしたら、卵が二つ置いてあった。触るとまだ温かい。チャボが私のベッドで卵を産んでいたのだ。

 卵かけご飯にすると、いつものようにおいしかったけれど、チャボに申し訳ないと思った。命を食べていることに後ろめたい気持ちになった。

脱衣所でアライグマと鉢合わせ

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鎌倉の家

甘糟 りり子
河出書房新社
2018-09-26

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鎌倉の家

甘糟りり子

高い天井には太い梁、客間には囲炉裏、 庭に咲き誇る四季の花々、そして家族の食卓——。築90年、風情ある日本家屋で育った甘糟りり子さんが、鎌倉の魅力を美しく鮮やかに描き出すエッセイ。

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elba_isola |甘糟りり子 @ririkong |鎌倉の家 脱衣所で 9ヶ月前 replyretweetfavorite