忘れられない横浜の音
「鎌倉生まれ鎌倉育ち」と時々間違われるが、私が生まれたのは横浜である。暮らしていたのは四歳の直前に鎌倉に引越すまでのわずか三年間だけれど、横浜での記憶は感覚の形成に大きな影響があったと思う。
伊勢佐木町のすぐ近くの山田町というところに住んでいた。母曰く「コーヒー一杯でも届けてくれる」ほど、近くにいろいろな飲食店があった。元町や中華街、山下公園には散歩がてらよく連れられていった。幼かったので系統だったものではないけれど、一つ一つの場面が映像のまま記憶されている。そして、どれもが音とともにある。音の記憶というのは、いつまでも古びない。
たとえば、レストランの楽しげなざわめき。
元町の入り口近くにジャーマンベーカリーという店があった。その日も大好きなチキンライスを注文した。香ばしい匂いに包まれ、私は子供用の椅子に座っていた。おしゃれをしたカップル、金色の髪をした外国人、てきぱきと動く制服姿の男性、自分を取り巻くものすべてが輝いて見え、しょっちゅうスプーンをおいては、身を乗り出してあちこちを見回していた。隣には青い目をした外国人の家族。私と同じくらいの年齢の男の子と女の子がいた。自分たちとは違う言葉を話している。それはリズミカルで音楽のように心地よかった。
ひとしきり光景を楽しんでから、食べかけのチキンライスを食べようとテーブルに向き直すと、あるはずの皿がない。ウエイターが下げてしまったのだ。これからゆっくり味わうつもりだったのに。隣の家族の歌うような会話が胸に響く。悲しさと楽しさはとても近いところにあることを知った。
おこげ料理の音も忘れられない。
中華街にも家族でよく行く店があった。おこげに海鮮のソースをかける時の「じゅっ」という音を聞くと、急にお腹がすいた。お腹がすいている時はそれが倍になる。食器がぶつかり合う音や客たちのおしゃべりをバックバンドに、この「じゅっ」を聞くと、自分の中で空腹が生き物になるような気がした。
元町にある輸入雑貨の店で白い三輪車を買ってもらったのは三歳の誕生日だった。旅行先の箱根で白鳥号という船に乗ったことがあって、私はよくそのことを話していたらしい。母はその三輪車を「白鳥号」と名付けた。白い車体に赤いペンキで、「りり はくちょうごう」と書いてくれた。私はこれで風を切ってそこらじゅうを疾走した。びゅんびゅんという風の音は快感とともに身体に刻まれた。
大人になってからの外食好きとクルマ好きは、横浜での体験が元になっているはずだ。
山下公園には毎日のように行った。広くて、海に向かって見晴らしがよく、真ん中には噴水、ふんだんな緑もある。鳩の群れが散歩していたりもする。そんな美しい公園で晴れた日にカモメの鳴き声や氷川丸の汽笛を聞くと、理由もなく涙が出そうになった。かなしいという気持ちによく似ているけれど、少し違う感情を教えてくれたのも横浜の音だ。
25キロを歩く家族遠足
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