「天井を見ていると飽きないなあ」
父は真夜中に階段を踏み外して腰を強打した。蒸し暑い夏の夜だった。
明け方に救急車で運ばれ、そのまま入院した。骨折ではなかったので、治療らしい治療もなく、ただベッドで横になっているだけだった。毎日、母と私が交代で見舞いにいった。ただ寝ているだけの父の顔は、みるみるうちに意思を失った。無表情で気力がない、いわゆる痴呆の顔である。別の人になっていくというより、人でなくなっていくように思えた。
入院から一週間ほどたったある日、母は思い切って居間の家具をどかし、レンタルの医療用ベッドを入れた。ストレッチャー付きのワゴンタクシーを呼び、父を家に連れて帰った。家での生活は寝たきりだったけれど、母や私や介護士と話したり、庭や天井を眺めたりして過ごし、意思のある人間の顔に戻っていった。
家は数寄屋造りの日本家屋だが、私が中学生の頃、半分ほど改築された。福井県の古い農家を解体して梁を運び、合掌造りになっている。居間はその部分で、天井は二百五十年間かけて燻された煤竹が敷き詰められてできている。
「天井を見ていると飽きないなあ。こんな天井を作ってくれた瀧下さんに感謝しなくちゃ」
度々、父はそういった。瀧下さんとは移築から手がけてくださった建築家の方だ。
父は寝たきりの生活を受け入れているように見えたけれど、時々、二階にある自分の部屋に帰りたがった。夜中に無理やり身体を起こしてベッドから降り、そのまま立ち上がれなくなったこともある。私と母とで父の身体を担いで、なんとかベッドに持ち上げた。今度は、母が立ち上がれないほどくたびれてしまった。
一ヶ月ほどたった頃、訪問診療のお医者様が母にいった。
「もう元気になって、元のように起き上がったり歩いたりすることはできないと思います。残された時間を充実したものにしてあげてください」
残された時間というフレーズが頭の中でぐるぐる回った。医者の言葉だとしても、父の人生が残りわずかだとはどうしても信じられない。最悪の事態を想定してのはずだと思い込もうとした。
二度の手術をしてから細くなっていた食が、さらに細くなった。寝たきりだとエネルギーを使わないし、使わないから食欲もわかない。身体のいろいろなことがうまく循環していかないのだろう。朝昼晩、食べたいものを聞いても、考え込むだけでなかなか答えが出てこない。かろうじて何か見つかってそれを用意しても、半分も食べられないのだった。かつて稲村ヶ崎の川を泳ぐかわいらしい鴨を見て、「うまそうだなあ」といった人とは思えなかった。
その代わり、お酒だけは入った。カロリーをお酒で補給していたのかもしれない。好きな時に飲めるように、病人用の吸い口に日本酒を入れて、枕元のテーブルに置いておいた。テーブルには煙草と灰皿も用意してあった。食欲は落ちても、煙草の本数は変わらない。手に力が入らず、自分でライターの火をつけられないので、右手をあげて煙草を挟む仕草をしたら、私か母が火をつけた。お酒も煙草も、寝たきりの病人とは思えないほど、おいしそうに嗜んだ。
ポール・マッカートニーの話はできなかったけれど
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