連載を落とす覚悟をした夜
父の手術は夏の初めだった。癌はかなり進んでおり、直腸と肛門を取ってお腹に人工肛門をつけるという大掛かりな手術である。胃にも転移しており、胃の切除も行うという。
小説の締切があって入院には付き添えず、仕事用の部屋にこもっていた。集中しようとすればするほど、悪いことばかりが頭に浮かび、気が散った。
手術の前夜、父と電話で話した。
「お父さんの心配より、締切を終わらせなさい。原稿が書き終わるまで、病院には来ないように」
父は落ち着いた声でそういって、電話を切った。怖くないのだろうかと不思議だった。
進まない原稿と格闘したまま、夜になった。
夜中は、いろいろな考えが尖ってくる。不安も大きくなる。編集者に頼んで締切を延ばしてもらい、病院に行こうと決めた。もしかしたら父との最後の時間になるかもしれない、もう連載は落としたっていいと思った。
浅い眠りのまま朝が来た。編集者に連絡する前に、気を取り直してもう一度パソコンに向かった。試しに数行だけ書き始めてみると、昨晩までの体たらくが嘘のように言葉や文章が湧いてきた。誰か他の人が書きに来てくれたのかと思うほどだった。
半日で二十数枚の原稿を仕上げて編集者に送信し、あわてて病院に駆けつけると、すでに手術は終わっていた。病室のベッドでは、酸素マスクをつけたくさんの管に繋がれた父が、うわ言をいっている。
「ちくしょー、いてー、いてーよー」
今まで聞いたことのない乱暴な言葉遣いだった。
朝から付き添っていた母と一緒に医師に呼ばれると、無造作に置かれたトレイに切除した内臓があった。あふれそうなほどの量だった。手術の説明を聞いたはずだけれど、トレイの内臓のインパクトが強すぎて、内容が頭に入ってこなかった。
部屋を出て、母がいった。
「当分お肉は食べられないわね」
八時間にも及ぶ長い手術だったけれど、父の回復は順調で、一週間もたたないうちに煙草を吸いたがった。勝手に煙草を買わないように、母はベッドの引き出しにあった小銭を取り上げた。
私のせいで病室が爆発してしまっていたかも
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