是が非でも駆けつけた、鎌倉の年越し
正月のしつらえで、特に好きなのは餅花だ。
柳の枝のところどころに花に見立てた紅色と白の餅がついている。それを竹筒に入れて居間の柱に飾ると、空間に落ち着いたはなやぎが加わる。夏の花火大会でしだれ柳が打ち上げられると、餅花を思い出す。どちらにも、放物線のたおやかさがある。
都内に部屋を借りていた頃には、楽しそうな年越しのお誘いがたくさんあったけれど、餅花で新年を迎えたくて、必ず鎌倉の家に帰った。忙しいと、ぎりぎり大晦日の朝にあわてて帰宅することも少なくなかった。
餅花は毎年、小町通りにあった「味路喜」という懐石料理のお店が、クリスマスを過ぎた頃に届けてくれた。味路喜は、料理研究家の岸朝子さんから両親が紹介され、いきつけだった。
大晦日になると、味路喜からは今度はお節のお重が届く。年越し蕎麦は八幡宮のほど近くにあった「一茶庵」。父が受け取りにいくのが習慣だった。父は一茶庵の帰りに味路喜に寄り、一杯飲んでくる。母と私はその間に家じゅうの掃除をして、正月用の料理を作った。私の担当は、出し巻き卵に百合根や生麩の煮付け。弟はいたりいなかったり、友達と飲みにいって元旦にやっと帰ってくることもあった。
物を知らない私は、餅花は味路喜のオリジナルのものだと勝手に思い込んでいた。
その後、味路喜は鎌倉の店をたたみ、店名を変えて都内に進出し、お節は宅急便で届くようになった。居間に餅花が飾られることもなくなった。生活の細部を彩る大切なものは、ある時はそれほど気に留めないのに、なくなってからその価値を思い知る。
いつだったかの元旦に、私は雑煮を食べながらいった。
「お餅の花束がないと、ちょっとさびしいなあ。それにしても、すごいアイデアよね。味路喜の女将はどういう時にあれを思いついたんだろう」
母があきれた口調で返した。
「あれは味路喜さんが考えたものじゃないわよ。お正月の定番で、餅花っていうの」
いわれてから、師走に現れるしめ飾り売りが、餅花を扱っていることに気がついた。
忘れられない元旦を彩った忘れられない餅花
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