3歳の春、家から締め出された私
横浜から鎌倉へ越してきたのは私が三歳の時、昭和四十三年の三月末だった。
四月になって、家の隣にある幼稚園に入園した。幼稚園は家から道を一本挟んだところにあって、登園してくる園児たちの「おはようございまぁす」という声を聞いてから布団を出ても間に合った。私の寝坊&夜更かしの人生はこの頃から始まった。
入園して二、三日目のことだ。部屋の中はまだ引越しの段ボールだらけで、父も会社を休んで母と一緒に荷解きをしていた。私は幼稚園からお昼過ぎに家に帰った。
新しい家には広い庭があった。庭の半分は大きな木が茂っていて、森のようだった。その奥に山を背負った二階建ての古い家があった。庭にはいつも何かが潜んでいるような気配があって、越してきた頃はそこを横切る度に緊張した。
その日、帰ると玄関のドアが開かない。鍵がかかっている。何度も母を呼んだが、返事はない。ドアを叩いても、何の反応もなかった。仕方なく勝手口に回ってみたが、同じことだった。二階の雨戸は閉められていて、大きな家がお化け屋敷のように見えた。
家の裏には大きな山がこちらを見下ろし、風に吹かれた木は呪文をかけるように揺れている。勝手口の近くでは家の以前の持ち主が置いていった犬が繋がれていた。雑種の黒い犬は用心のために飼われたとかで、あまりかわいがられていなかったのだろう、とにかくよく吠えた。その日もわめき散らすように吠え続け、私は怖くなって泣き出した。まだ慣れていない家も大きな山も犬の吠える声も風の音も、世の中のすべてが自分を襲ってくる気がした。
私は置いていかれた、捨てられたのだろうか、と思った。
泣いていたのは十分ぐらいだっただろうが、果てしなく感じられた。やがてタクシーの音がして、あわてて父と母が帰ってきた。母は「ごめんなさい。かわいそうだったわね」と泣き狂う私を抱き上げた。犬は相変わらず吠えていた。
私が幼稚園に行っている間、荷解きに疲れた父と母は評判の鰻を食べに由比ヶ浜の「つるや」に行っていたのだった。つるやは注文が入ってから鰻を裂くことをまだ知らず、うな重をぱっと食べて帰るつもりだったが、出てくるまでに一時間近くかかってしまった。
あの年は桜が散った後に雪が降った。裏庭の不気味な光景とともに、記憶に残る春だった。
BBQ中に始まった、海辺のうな重バケツリレー
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