人目を忍んでビールを開けた、「フェス」デビュー
江ノ島の西浜で、ジャパン・ジャムという野外音楽イベントがあったのは私が十五歳の時だった。「フェス」という言葉はまだ一般的ではなかった。中学校の帰りに友達の家に遊びにいったら、洋楽好きな高校生のお姉さんが洋楽専門誌でその告知を見て、興奮していた。これ、絶対に行かなくちゃダメだ! と呪文のように繰り返した。『バラクーダ』という曲をヒットさせたハートというバンドが出るという。そのバンドはアンとナンシーという美人姉妹が率いていて、友達のお姉さんは彼女たちに心酔していた。「女」で「ロックバンド」がまだめずらしい時代である。
私と友達もついていくことになり、小町通りにあった楽聖堂というレコード店でチケットを買った。ビーチ・ボーイズなどいくつかのバンドが来日し、日本からはサザンオールスターズが出演するとのことだった。
開催されたのは八月最初の週末。お気に入りのペパーミントグリーンのTシャツにジーパンを太もものところで切り落とした短パンをはいて、江ノ島に向かった。
西浜にはじりじりという音が目に見えそうなほど、太陽が照りつけていた。会場は屈強な腕に刺青を入れた外国人たちであふれかえり、その腕にはたいていアイラインが濃く露出の多い服装の女性が絡みついていた。こんなにたくさんの外国人を見たのは初めてだった。のん気な海水浴場のはずの西浜が外国映画のように、それもアメリカンニューシネマ(覚えたての言葉だった)か何かの一場面に思えた。彼らは、叫び声をあげ、身体をくねらせ、存分に江ノ島を楽しんでいた。女の人を肩車している人もいた。肩車された女の人は、バンダナを振り回したり、肩の上で飛びはねたり。羽目とはこうやって外すものなのだと知った。
その日は横須賀の米軍基地に空母が寄港していたとかで、ネイビーたちが江ノ島に押し寄せたらしかった。
辺りには奇妙な匂いが立ち込めていた。甘くて香ばしくてどことなく酸っぱい。今でもはっきりと思い出せるぐらい、特徴のある匂いだ。この日から十年近く経ったある日、私は夜の西麻布で同じ匂いに出くわした。無名の頃のバスキアが東京に遊びに来て壁に落書きをしていったというクラブの片隅に、何やら目つきがとろんとした集団がいた。彼らは細長い紙巻煙草のようなものを回して吸っていた。帰り際、そこを横切った時、あ、あの時の江ノ島の匂いだ、と思った。
ジャパン・ジャムは昼前から始まった。
友達のお姉さんは小さな茶色い紙袋を持っていた。中には缶ビールが隠してあった。お姉さんは度の強い眼鏡をかけた洋楽オタクっぽい人なので、意外だった。私たちのことなんか誰も見ていなかったと思うけれど、人目を忍びながらそれを飲んだ。いけないことをしているという事実が十五歳の私を興奮させた。
コネで決まった初バイト
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