ドラマロケのために中断された授業
稲村ヶ崎駅を出た江ノ電は、しばらく住宅街の細い道をきゅうくつそうにガタゴトと走る。その道がゆるやかに曲がり、住宅が途切れると海沿いの道だ。さえぎるもののなくなった視界に海が飛び込んできて、車内では歓声があがる。平日でも週末でも、雨の日でも晴れの日でも、多かれ少なかれ、たいてい「わぁっ」という声が聞こえるのだ。
何度この景色を見たかは数え切れない私でも、目の前に海が広がる度に心が解かれる。晴れた日は、「トンネル(ならぬ住宅街だけれど)を抜けるとそこは海だった」とでもいいたくなる。乗客が身を乗り出して海を見ていると、勝手に嬉しくなってしまう。江ノ電は私にとって「身内」の乗り物だ。
〝江ノ電〟と呼ばれる江ノ島電鉄は、鎌倉駅から藤沢駅までを三十四分かけて走る単線の電車。今では観光の目玉の人気電車だけれど、私たちが鎌倉に越してきた昭和四十三年頃は廃線が検討される赤字路線だった。
風向きが変わったのは、日本テレビの『俺たちの朝』(昭和五十一年)というドラマである。奇妙な共同生活をする男女三人の若者が主人公で、彼らが暮らしているのが鎌倉の極楽寺という設定だった。画面には江ノ電がしょっちゅう映り、ドラマの評判とともに江ノ電も注目され始めた。
通っていた稲村ヶ崎小学校の近くでも、ドラマのロケがしょっちゅう行われていた。放映されていた年の秋のこと。音楽の授業は運動会で披露する鼓笛隊の練習だった。クラスのリーダー格の男子が「おれたちの楽器の音がドラマに入るように、今日は張り切ってやろうよ!」といい、私たちはいつにも増して勢いよく楽器を鳴らした。ところが、授業中に別の担当の先生が入ってきて、ロケ隊から撮影の邪魔になるから授業を中断して欲しいといわれたことを私たちに伝えた。今なら大問題になるだろうが、先生たちも私たちもあっさりとそれに従った。残りの時間は自習となって、やっぱりあのドラマで鼓笛隊の音が鳴ってたら変だよね、などとおしゃべりをして時間を潰した。
同じ頃、「アンアン」や「ノンノ」が鎌倉を頻繁に特集するようになった。女性だけの旅行が流行り始めた時期である。アンノン族と呼ばれる若い女性たちが観光に訪れ、鎌倉は別荘地から観光地に変わっていったのだった。
私が通っていた稲村ヶ崎小学校は名前こそ「稲村ヶ崎」だけれど、江ノ電の駅では一つ隣の「極楽寺」にあった。マイカーブームで、鎌倉の道にも急激に車が増え始め、徒歩の通学は危険という理由で江ノ電での通学が義務づけられていた。乗り遅れそうになっても、子供たちが駅に向かって走っていると、発車を待ってくれることも度々あった。
金色の江ノ電に戸惑った日
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