鎌倉の家

今でも忘れられない、かまどで焼かれた原稿用紙

高い天井には太い梁、客間には囲炉裏、 庭に咲き誇る四季の花々、そして家族の食卓――。築90年、風情ある日本家屋で育った甘糟りり子さんが、鎌倉の魅力を美しく鮮やかに描き出します。

庭で見つけた焦げた原稿

 庭が広かった頃のかまどにはいろいろな楽しい思い出があるけれど、最も印象に残っているのは澤地久枝さんのことだ。

 学校から帰ると、庭のかまどから何か焼ける匂いがした。母やお客様が庭で食事をした様子もない。のぞくと、丸く固めた紙の塊が形のまま残っていた。どうやら原稿用紙のようだ。取り返しのつかないことが起こっているのではないかと思い、あわてて家に入り、母に告げた。

「ああ、あれね。澤地おばちゃんの原稿の書き損じ。ダメ、と思ったものは人に見られたくないのね。わざわざ庭に出て、燃やしたのよ」

 何だかよくわからないけれど、すさまじいものを見た気がした。文章を書くことはめんどうくさいのだとも思った。焦げた原稿用紙の塊は今も目に焼きついたままだ。

 澤地おばちゃんは、母が若い頃からの友人で尊敬する先輩だ。中央公論社で経理の仕事をしながら旧制の女学校、早稲田大学第二文学部に通い、卒業と同時に「婦人公論」編集部にスカウトされた。働き過ぎて体調を崩し、長い闘病をしてから会社を辞め、ノンフィクションの作家として活躍されるようになった。

 いつもでれでれ、だらだらしている母だが、「澤地さんのことを考えただけで背筋がしゃんとする」という。私が子供の頃、長く泊りにいらっしゃることがあって、その時はうちの二階で原稿を書いていた。

 正直いえば、子供にとって、何事にも真剣な澤地おばちゃんは怖い人でもあった。私が家庭科の宿題をほっぽり出してテレビを見ていたら、即座にテレビの電源を切り、つききりでミシンのやり方を教えてくれた。なんの面倒もみない母のことも𠮟咤激励で、親子揃ってしゅんとしてしまった。

おばちゃんが察知した、親も気づかなかった私の変化

 私が高校の時のこと。うちにいらして一時間もたたないうちに、母にいったそうだ。

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鎌倉の家

甘糟 りり子
河出書房新社
2018-09-26

この連載について

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鎌倉の家

甘糟りり子

高い天井には太い梁、客間には囲炉裏、 庭に咲き誇る四季の花々、そして家族の食卓——。築90年、風情ある日本家屋で育った甘糟りり子さんが、鎌倉の魅力を美しく鮮やかに描き出すエッセイ。

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コメント

kzmshz 戦前の上質な小説を読んでいるかのような味わい。 2年弱前 replyretweetfavorite