家賃1万の森の家
鎌倉の家に住んで半世紀が経った。
戦前に建った古い家なので、祖父母から譲り受けたものと思われることがあるが、ちょっとしたきっかけで住むことになった。
父が仕事でつきあいのあった広告代理店の方との会食の際に、こんなことを話されたそうだ。
「困っているんですよ。親が残した鎌倉の別荘に管理人をおいていたんですが、子供が産まれるからもっと便利なところで暮らしたいと出ていったんです。山のふもとにある家だから、誰もいないと動物もいついてしまいますしねえ。住んでくれる人を探しているんです」
「それなら僕に貸してくださいよ」
父がすぐにいった。子供の頃、親戚の別荘が腰越にあった父にとって、鎌倉はなつかしい場所だった。
「甘糟さんはいいかもしれないけれど、今、横浜のにぎやかなところでしょう。あんな森の中のさびしい家、奥さんがいやがるんじゃないかなあ」
「いいえ、うちの奥さんは森の中に住みたがっているんです」
「う〜ん。そうはいっても、想像と現実とは違いますからね。一度、見にいってください」
母は早速、鎌倉に足を運んだ。もっと山の中だと想像していたので、逆の意味でがっかりしたぐらいだった。五分も歩けば、商店街もある。あっという間に引越しが決まった。
家賃は、というと、
「管理人にはお金を払っていたのだからタダでいいですよ」
「そういうわけにはいきません」
結局、家賃は一万円になった。四畳半一間のアパートだってもう少し高かったはずだ。
マイホーム、マイカーの時代である。ローンを組んで家を建てるのがはやりだった。けれど、父は、所有しなくても使用できればいいという考えで、母は山に囲まれた森の中の家に満足した。
「自分たちで住むつもりはないけれど、親の残したものだから潰すわけにはいかないんです。いつまででも好きに使ってください」
という家主の言葉は、渡りに船だった。
3歳にして芸名で自己紹介
三月の終わりに横浜の団地から越した。私が三歳の時だ。
引越し当日、仲良くしていた上の階のお姉さんがおにぎりを差し入れてくれた。チーズ入りのおにぎりだった。あの頃、おにぎりの具といったら梅干しかおかか、せいぜい鮭ぐらい。口に含むと、温かいご飯の中でチーズが溶けて、びっくりした。舶来の味がした。私にとって、あのおにぎりは横浜そのものだった。
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