鎌倉の家

色や形だけ美しいのなら造花でじゅうぶん

高い天井には太い梁、客間には囲炉裏、 庭に咲き誇る四季の花々、そして家族の食卓――。築90年、風情ある日本家屋で育った甘糟りり子さんが、鎌倉の魅力を美しく鮮やかに描き出します。

花は時間を楽しむもの

 父の誕生日は五月三十日だった。毎年、母からのプレゼントは決まっていて、泰山木か朴の花のひと枝。どちらも家の庭にあるのだけれど、山蔭にあるせいか花が遅い。間に合う年もあれば、蕾も見えない年もある。母は近所にある泰山木や朴の木を見回っていて、家の木のタイミングが合わない時は他所の花を手に入れた。

 泰山木も朴の木も大きな葉を持ち、大きな白い花が香りを放って開く。そして、花が咲くとあっという間に散ってしまう。一晩しか持たないこともある。ある年は、夜、両手を広げるようにわっと白い花が咲いたのに、翌朝にはもう花びらが一枚、落ちていた。あまりの短さは、はかないというよりむしろ過ぎてゆく時の速さに力強さを感じる。毎年、泰山木の香りがすると、つい亡くなった父の歳を数えてしまう。

花は時間を楽しむものだ。蕾から枯れるまでの時間の経過が、花を活けること。

 家には一年中、花があった。どれも母が切ってきたもので、毎日のご飯を作ったり食べたりすることと同じように自然に思えた。「生け花」といった形をお稽古して習ったことはなく自然流。花が生きているものとしてそのまま活ける。よく病気になる母が床にふせっていても、少しよくなると庭に出て花を物色し始める。ああ、やっと元気になったなあと私は安心する。

 お正月は近所の方から毎年いただく、香りのよい蝋梅か白梅。これに庭の松の枝を切って緑を添える。

 二月になると啓翁桜。毎年、建築家の伊東豊雄さんが送ってくださる。啓翁桜の淡い色味は、その冬がどんなに寒くても、もうすぐ来る春を先取りした気分になる。

 キブシやレンギョウ、ユキヤナギと春の木の花が次々と咲くと、裏庭はシャガの盛り。食堂の大きな窓の向こうに裏山の斜面に咲き誇るシャガを眺めることができる。夕暮れ時、薄暗い中シャガの花の蛍光色は自分から光を放っているようだ。遊びにいらした詩人の高橋睦郎さんはこの景色を「シャガ明かり」と名付けられた。

不穏な空気が魅力の花

 春は家のまわりには次々と花が咲いて気忙しいほどだが、私が一番待っているのは浦島草だ。花といっても暗い紫色の苞で、その先は釣り糸のように細長く垂れ下がっている。これが浦島太郎の釣り糸を思わせることから名前がついた。見る度に紫色の苞の中に虫が溺れているのではないかと想像してしまう。どこか不穏というか不気味な雰囲気がある。いつか、浦島草の写真を本の表紙にして、それに似合う物語を書いてみたい。

 あるお茶人の方に聞いたのだが、茶花の市で浦島草が一株数万円していたそうだ。家の庭には自生している浦島草が十数株ほどあるし、近所の散歩道でも見かけ、気軽な花だと思っていたので、驚いた。

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鎌倉の家

甘糟 りり子
河出書房新社
2018-09-26

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鎌倉の家

甘糟りり子

高い天井には太い梁、客間には囲炉裏、 庭に咲き誇る四季の花々、そして家族の食卓——。築90年、風情ある日本家屋で育った甘糟りり子さんが、鎌倉の魅力を美しく鮮やかに描き出すエッセイ。

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コメント

8ttan 子ども(特に娘)の感性は育った環境(特に母親)の影響が大きいと最近とくに思う。知らず知らずのうちにインストールされている  約2年前 replyretweetfavorite

rosebourbon 本当にいつも素敵だ。マンションだと庭がないから凄い残念なんだよね…。お陰でご近所のどの家に何が咲いてるかチェックするようになったけど。 約2年前 replyretweetfavorite