花は時間を楽しむもの
父の誕生日は五月三十日だった。毎年、母からのプレゼントは決まっていて、泰山木か朴の花のひと枝。どちらも家の庭にあるのだけれど、山蔭にあるせいか花が遅い。間に合う年もあれば、蕾も見えない年もある。母は近所にある泰山木や朴の木を見回っていて、家の木のタイミングが合わない時は他所の花を手に入れた。
泰山木も朴の木も大きな葉を持ち、大きな白い花が香りを放って開く。そして、花が咲くとあっという間に散ってしまう。一晩しか持たないこともある。ある年は、夜、両手を広げるようにわっと白い花が咲いたのに、翌朝にはもう花びらが一枚、落ちていた。あまりの短さは、はかないというよりむしろ過ぎてゆく時の速さに力強さを感じる。毎年、泰山木の香りがすると、つい亡くなった父の歳を数えてしまう。
花は時間を楽しむものだ。蕾から枯れるまでの時間の経過が、花を活けること。
家には一年中、花があった。どれも母が切ってきたもので、毎日のご飯を作ったり食べたりすることと同じように自然に思えた。「生け花」といった形をお稽古して習ったことはなく自然流。花が生きているものとしてそのまま活ける。よく病気になる母が床にふせっていても、少しよくなると庭に出て花を物色し始める。ああ、やっと元気になったなあと私は安心する。
お正月は近所の方から毎年いただく、香りのよい蝋梅か白梅。これに庭の松の枝を切って緑を添える。
二月になると啓翁桜。毎年、建築家の伊東豊雄さんが送ってくださる。啓翁桜の淡い色味は、その冬がどんなに寒くても、もうすぐ来る春を先取りした気分になる。
キブシやレンギョウ、ユキヤナギと春の木の花が次々と咲くと、裏庭はシャガの盛り。食堂の大きな窓の向こうに裏山の斜面に咲き誇るシャガを眺めることができる。夕暮れ時、薄暗い中シャガの花の蛍光色は自分から光を放っているようだ。遊びにいらした詩人の高橋睦郎さんはこの景色を「シャガ明かり」と名付けられた。
不穏な空気が魅力の花
春は家のまわりには次々と花が咲いて気忙しいほどだが、私が一番待っているのは浦島草だ。花といっても暗い紫色の苞で、その先は釣り糸のように細長く垂れ下がっている。これが浦島太郎の釣り糸を思わせることから名前がついた。見る度に紫色の苞の中に虫が溺れているのではないかと想像してしまう。どこか不穏というか不気味な雰囲気がある。いつか、浦島草の写真を本の表紙にして、それに似合う物語を書いてみたい。
あるお茶人の方に聞いたのだが、茶花の市で浦島草が一株数万円していたそうだ。家の庭には自生している浦島草が十数株ほどあるし、近所の散歩道でも見かけ、気軽な花だと思っていたので、驚いた。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。