器の世界を広げた人
めし茶碗の棚のわきを通って食堂に入ると、ふたつの食器棚がある。ひとつには漆器、もうひとつには主として伊万里の食器や酒器が収められている。
友達の中には骨董のコレクションのように思う人もいるが、母はいつもいう。
「家には骨董品や美術品と呼ばれるものは、ひとつもないのよ。お料理をこれに盛りたいという器だけ。ひとつずつ買っているうちに、数が多くなってしまったの」
結婚当初、父と母は家具も食器もほとんど持っていなかったそうだ。遊びにいらした友人の向田邦子さんがあきれて、湯吞み用の蕎麦猪口や鉢をくださったという。これがきっかけで、外食ばかりだった母は具体的な暮らしのイメージがわいたそうだ。
鎌倉に越してからも、向田さんは時々家にいらして、その度に器を持ってきてくださった。萩焼のぐい吞みや「ままや」でも使われていたお皿は、今でも食卓によく登場する。ままやは、向田さんが妹の和子さんと赤坂に開いた小料理屋である(今は閉店)。
母が暮らしの楽しさに気がついた頃、ちょうど向田さんや澤地久枝さんといった母の友人たちが、骨董やアンティークに興味を持ち始めた時期で、さまざまな器をくださった。
父もまた、親しい人からの影響で器の世界が広がった。マガジンハウスの編集者だった蝦名芳弘さんである。後に骨董屋を開いたほどの目利きだった。お花見に鎌倉の家にいらした時、古い籠に徳利とぐい吞みをいくつか入れてお土産にくださった。飴色の竹でしっかりと編まれた籠は、母が毎年、秋の花を活ける時に使っている。
蝦名さんからのぐい吞みのひとつに、藍色と緑色の合間のような色合いで、ひびが入ったような模様のものがある。清水卯一という作家だった。私はこれが気に入って、日本酒の時はたいていこれを使う。微妙な色合いは「青磁」といい、ひび割れた模様は「貫入」と呼ぶことを、この器で知った。
欲しいものはどう決めるか
ある時、父が由比ヶ浜通りの骨董屋で気に入った徳利を見つけた。魯山人のものでかなり高価だったからあきらめたと蝦名さんに話すと、こういわれたそうだ。
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