ゲームが終わると、とたんに球場はひっそりとしてしまう。
照明灯のあかりが一つずつ消えていき、ネット裏二階席にある記者席の蛍光灯のあかりだけが、ほのかに浮かびあがる。
その日は、違った。ゲームが終わったあと、レーザー光線が広島市民球場の上空に舞った。6月23日のことだ。その前日、衣笠祥雄は東京・永田町の首相官邸におもむき、国民栄誉賞の表彰を受けた。自分の記録がそういう形で評価されるとは、かれ自身も考えてもいなかった。遠征先の旭川から広島に戻る途中、東京に立ち寄り、そして、その日のうちに広島に戻った。翌日には、またゲームがあるからだ。
23日は、「記録達成」後、初めての市民球場でのゲームということで、試合前にコミッショナーをはじめとするプロ野球関係諸団体からの表彰が行われた。そして試合終了後はレーザー光線を用いたちょっとしたイベントと、衣笠自身のあいさつである。
「やっとここまできたよ」
衣笠はしみじみといっていた。
「記録達成」前あたりから、かれは渦のなかに巻きこまれたようなものだった。セレモニーが相ついだ。
それがやっと、6月23日で一段落する。
それまでは気を張りつづけていた。責任感の強いかれのことだから、連続試合出場記録が「2131」になったところでホッとすることなどなかったのだろう。
その区切りの一日も、過ぎた。
スタンドには誰もいなくなり、おそくまでついていた記者席のあかりも消えた。
しかし、そこから始まるものがある。
衣笠祥雄はやっと、落ち着いて自分のことを考えることができる。
「今年は考えることがたくさんあるよ」
1月に、衣笠はいった。
正確に書くと、それは1月18日のことで、その日はかれのちょうど四十歳の誕生日だった。節目となるその日に、かれは飛行機に乗っていた。成田からニューヨークへ向かう直行便。夫婦そろって野球の殿堂のあるクーパースタウンに行くという旅の途上だった。
「記録のことだけじゃない。自分がやってきた野球のこと、自分の人生のこと、そしてこれから先のこと……いろんなことを考えなくてはいけない。考えておきたいんだ。シーズンが始まれば、頭のなかは野球でいっぱいになってしまうかもしれない。いつもそうだから。でも今年は、ほかのことも考えるだろうと思う。それが楽しみでもあるんだ……」
そんな話を聞きながら、衣笠祥雄にとって野球とは何だったのだろうか、と思った。
そういう直接的な問いかけはしなかったものの、話をしているとおのずとテーマはそこにいきついてしまう。
「そうだなあ、結局、野球をやっているうちは、ぼくはまだ青春なんだろうな」
という答えが出てくることもあった。少し気どっているときだ。
またあるときは、かれはじっと考えこみ、「すべてだね」と、つぶやくようにいうのだった。野球がすべてなんだ、野球をしていなかったら、自分がどんな人生を歩むことになったのか……わからないね。思い浮かぶイメージを頭のなかから振りはらうように、かれはいった。
母親が亡くなったときの話をしてくれたことがある。シーズンの途中で、かれが連絡を受けたとき、もうすでに母親はこの世からいなくなっていた。移動の途中、京都に立ち寄り、また次のゲームに出場するために京都を離れた。
衣笠祥雄を生み、そして育てた母親が残していったものがある。衣笠は、そのシーズンが終わって落ち着いてから、仏壇を整理しているときに、母親が書きのこしたものを見つけたのだ、という。
そのなかにかれの興味をひくことがらが書かれていたのか、どうなのか。かれを生み、一人で育て、やがて再婚した母親が、生前に語れなかったこともある。
「結局ね、ぼくはそれを燃やしたんだ。そうするのが一番いいことだろうと思った」
母の思いを、かれは自分の胸のなかにおさめ、それでよしとしたのである。
「野球っていうのは、大きいよ。たとえば子どものころだって、ぼくは野球をやっていたでしょう。まあ、どちらかといえばうまいほうだった。するとね、まわりのみんなが認めてくれるんだ。あいつは野球をやらせるとちょっとしたもんなんだってね。バッターボックスに立ってホームランを打つ。やっぱりすごいと、まぶしそうに見てくれる。これは大きいですよ」
自分に自信をつけることができる。それが衣笠にとっての野球の始まりだった。
プロ入りしたのはドラフト制度ができる前の年で、当時の広島カープ、木庭スカウトは、衣笠のいる平安高校が39年夏の甲子園準々決勝で敗れたその日に、衣笠家にあいさつに行っている。長打力を秘めた、俊敏なキャッチャー。そういう衣笠に着目したのはカープだけではなかった。4、5チームが当時の平安高校、中村監督を通じてプロ入りを打診している。中村監督は「一番熱心に誘ってくれたこと、一番最初にいってきてくれたこと、それに条件面も考慮して」カープがいいのではないかと衣笠にいった。
期待されて入団したルーキーだった。ところが、衣笠に対する評価は1年目にいきなり肩を痛めてしまったことで低下する。かれはだいぶ落ちこんだらしい。そのころのかれは日記をつけていた。日南のキャンプ地のすぐ近くの海岸を一人歩きながら将来に対する漠とした不安をどうすることもできず、浜辺の小石と対話するといったような記述が、折にふれて出てくるのだという。
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