衣笠祥雄の2130試合連続出場が、今日の夜のゲームで達成されるだろうという6月11日、松田耕平は、やがて頼まれるであろうパーティーのスピーチのことを考えていた。タイ記録をすぎ、新記録を達成した日、松田はごく身近な関係者を招きパーティーを開く計画をたてている。
衣笠の記録のための18年間は、自分にとっても多難な歳月だった。東洋工業の社長になり、その11年後には相談役に退いた。いろいろなことがあった。
この正月に護国神社に詣でたとき、かれはチームの優勝と、衣笠の記録達成を祈願した。そのことをナインの前で語った。一選手のことを祈願する、しかもそれをチーム全体のミーティングで話すのはやりすぎではないか、という声をあとで聞かされた。が、かれは構わないではないか、と思った。監督、コーチ、選手、そして球団のスタッフたちを前に話しはじめたとき、「素直にすーっと」その話が口をついて出てきてしまったのだ、という。
──これからが衣笠の記録なんだ。2130まではルー・ゲーリッグの記録だった。これからが歴史に残る日々になる。大事にやってほしいと思う。
そういう思いを、うまく言葉にしたい。
もう一つ、かれが思い出したことがある。その数日前に、松田耕平は、あるカセットテープに吹きこまれた音楽を聴かされた。作曲家の杉本竜一が球団に依頼されて書いた曲だった。限りなき挑戦、というタイトルがついている。ボーカルはなし。シンセサイザーを用いて、全体としては交響詩という感じのつくりになっている。
それを松田は、球場の二階にあるオーナー室で聴いた。一人ではなかった。作曲家の杉本、それに球団のスタッフも同席していた。
シンセサイザーの、虚空にかけのぼっていくような音に耳を傾けると、オーナーは横を向いた。後方にいる秘書にいった。
「暑いなあ。クーラーきいとるんか」
そして、かれはさとられないように額から目がしらにかけて、汗のようなものを手でぬぐった。
──このぶんだと、区切りのヒットは内野安打になるかもしれないな。そうそういいことがつづくわけがない。ボテボテの内野安打で記録達成。しかしそれも、自分らしくていいんじゃないか……。
衣笠祥雄はダイヤモンドを一周しながら、そんなことを考えていた、という。
6月14日のゲームである。徳山で行われた対中日戦、デーゲームだった。その前日、衣笠は広島球場で行われたゲームに出場。それによって連続試合出場記録を2131と伸ばした。ルー・ゲーリッグの記録を抜き、未知の頒域に入ったわけである。
そして、その次には通算2500本安打という「記録」が待ちかまえていた。
13日のゲームを終えたところで通算安打は2498本。あと2本で2500本安打になるという時点で、徳山でのゲームを迎えた。その第一打席、衣笠は中日の先発・森口からホームランを打った。それが2499本目のヒット。ゆっくりとダイヤモンドをまわりながら、かれは、次はボテボテの内野安打で記録達成……というようなことを考えていたのである。
「ぼくに野球を与えてくれた神様──」という表現を、衣笠は2131試合目のセレモニーで用いた。何よりもまず、その〝神〟に感謝しなければいけない、と。
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