7】そして記録はつながった

1974年、不振に陥った衣笠はスタメンから外され、連続全イニング出場は日本記録を更新せずに終わった。そのシーズン、死球を受けて衣笠は途中退場し、連続試合出場記録も最大の危機を迎えていた。病院で寝ている衣笠に向けて古葉監督は「明日も必ずグラウンドに来るように」という伝言を残し翌日を迎える。鉄人を物語る最大のエピソードをあえて悠然と描いた、山際淳司「バットマンに栄冠を」cakes連載版、第7回。

 かつて、何度もピンチがあった。

 その最たるものは、昭和54年のシーズンだろう。

 その年、広島カープは出足が悪く、序盤戦でつまずいた。主砲の山本浩二も衣笠も、助っ人の外人選手も不振だった。結果的にはペナントレース後半に盛りかえし、カープは50年についで二度目のリーグ優勝をはたした。ストッパーには江夏がいて、日本シリーズでも近鉄を下し、初の日本一になった。そういうシーズンである。

 その年の5月に、当時の古葉監督は、ちょっとした決断を下した。チームが広島を離れ、岡山に遠征したときだ。

 古葉監督はスタメンから衣笠を外した。当時、衣笠は「全イニング出場」の記録を書きかえようとしていた。その日まで「678試合全イニング出場」をマークし、かつて阪神に在籍していた三宅秀史選手の持つ記録にあと22試合と迫っていた。カープは5位に低迷していた。古葉監督はゲーム前に衣笠を呼び、今日スタメンから外す、と通告した。

 そのときの衣笠は、担当記者たちの質問に笑顔で答えることができなかった。

 古葉監督は、何日も前から考えに考えて下した決断だったという。当時コーチだった阿南・現広島監督は、古葉監督から相談を受けた。

「それしかないと思いました。古葉さんにとっては、つらい決断だったと思う」


 衣笠は、何よりも自分がハラだたしかった、という。どうあがいても、バットから快音が発しないのだ。なぜ、打てないのか。考えこみ、バットを振り、そしてバッターボックスに立つ。やはり、打てない。

「やけになったね。もうダメだと思った」

 全イニング出場どころか、連続試合出場もおぼつかない状態になった。本人にしてみれば、それどころではなかった。そんなときに連続試合出場のことなど、考えることはできない。

 そういうときに、この記録、連続出場記録だけは大切にしなければいけない、といったのは、古葉監督だった。

 8年前のことだから、衣笠の連続出場記録は、その時点でやっと1081にたどりついたところだった。日本記録(飯田徳治選手の持つ1246試合連続出場)に追いつくのにもまだ百試合以上ある。

 そのときから、古葉監督は、この記録を十分に意識していた。

 それから、ちょうど3か月ほどたった54年の8月1日、衣笠は死球に倒れた。対巨人戦で、ジャイアンツのピッチャーは西本聖だった。西本はその日、1イニング三死球という不名誉なセ・リーグ記録を作っている。カープの三村、代打・萩原、そして衣笠と3人にぶつけてしまったのだ。

 衣笠はそのまま退場した。左の肩甲骨、亀裂骨折という診断が下された。病院には福永トレーナーが付き添っていった。肩を動かせる状態ではなかった、という。地元のゲームだったので、治療を受けると衣笠は自宅に戻った。そのままベッドに横になった。

 ゲームが終わると、チームメイトだった江夏が見舞いにきた。江夏も福永も、何もいうことができなかった。

 衣笠も、じっと天井を見つめるばかりで、口を開かない。


 衣笠は、朝方まで眠れなかった。夏の朝の光がカーテンのすき間からさしこむころになって、まどろんだ。ほんの数時間、眠りこんだ。目をさますと、上がらなかった左の腕が肩の上にいっている。眠っているうちに、しらずしらず、左の腕をあげていたのだ。

 これなら、ひょっとして野球ができるかもしれない──と、かれは起きあがるのだが、その前、まだ衣笠が病院にいるころに古葉監督は担当医に電話をしている。衣笠がデッドボールで退場したのは7回裏のことだ。ゲームは8─8。9回時間切れで引き分けた。その直後に、古葉監督は病院に電話したことになる。

 容態を聞くと、衣笠に必ず伝えてほしいと、監督は医者にいった。明日も必ずグラウンドに来るように、と。

 翌日、衣笠はユニフォームを着てグラウンドに出てきた。7回、代打でバッターボックスに立った。対戦相手は前日と同じ、巨人。先発は江川だった。江川は速い球を三つ、投げこんだ。ストライクゾーンに、すべて速球である。

 衣笠はその江川の速球を見送ろうとはしなかった。

 表情を変えずに、痛みを感じさせることもなく、バットを振った。ぶるん、ぶるん、ぶるんと、みごとに三回空振りしてみせるとダグアウトに戻った。

 そして、記録は途切れずにつながった。

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衣笠祥雄 最後のシーズン

山際淳司

2018年に亡くなったプロ野球界の往年のヒーローである衣笠祥雄と星野仙一。彼らと同時代に生き、信頼も厚かった作家は、昭和のレジェンドたちをどう描いてきたのか。8月に発売された山際淳司のプロ野球短編傑作選。 本連載では、表題作でもある「...もっと読む

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