5】いくら〝鉄人〟といわれたって

「いくら〝鉄人〟といわれたって、そりゃ人並みに疲れますよ。人間なんだから」
連続試合出場の世界記録更新を控え、衣笠の記者会見が行われた。記者からの厳しい質問に対しても衣笠は時にジョークを交え軽やかに受け答えする、その姿を山際淳司は「マウスワーク」という言葉で表現するが、山際はその裏にある深い悩みを見抜いていた。鉄人の素顔を描いた山際淳司「バットマンに栄冠を」cakes連載版、第5回。

「記録」達成が近づいてきた。

 名古屋で中日─広島戦が行われていた。「記録」までの残り試合数があと一ケタになるというあたりだ。カープの宿舎は名古屋のホテル、東急イン。その二階の一室を借りて記者会見が行われた。

 一年前、記録がちょうど「2000」試合の大台にのる直前にも同じように記者会見が行われた。日ごろ、まとめて話を聞く機会の少ない担当記者たちが、ここであらためて衣笠選手の話を聞いておきたいというのでセットされた会見である。

 衣笠はサマーセーター姿であらわれた。リラックスしているようだった。

 面白いやりとりが、いくつかあった。仮に自分の記録が途切れるときがくるとしたらどういうときかと聞かれると、この一騒ぎが終わってからゆっくり考えさせて下さいよと応じ、今までに、もうこれで終わりだ、ゲームを休もうと思ったことがないのかと問われると、「ずる休みしたいと思ったことはあるけどね」といって、皆を笑わせた。

 フットワークというか、口で喋っているのだから「マウスワーク」とでもいうべきだろうか、軽いジャブを打ちながらさりげなく舞っているという感じだ。衣笠はプロ野球選手のなかでは、間違いなく会話の上手なほうに入るだろうと思う。

 そういえば今シーズンから、かつての古葉監督が大洋のユニフォームを着ることになった。4月10日の開幕戦は広島が古葉・大洋を地元に迎えて行われた。カープの練習が終わるころ、古葉監督が三塁のダグアウトに入ってきた。衣笠は三塁ベンチに歩みより第一声でこういった。──「入り口を間違えなかったですか? うっかり一塁側に行きそうになったんじゃない?」

 その模様を、固唾をのんで見守っていた担当記者も、TVのスタッフも、思わず笑った。とたんになごやかな雰囲気になった。

 その半面、衣笠にはシリアスすぎるほどに自分を突きつめていくところがある。

 記者会見で、一番質問が集中したのは、昨シーズンのことだった。一年前のシーズンは、衣笠にとってしんどいシーズンだった。ずっと低打率に悩みつづけたからだ。最終的には二割五厘と、かろうじて二割をキープしたが、さすがの衣笠ももう限界かといわれた。

 野次も多かった。いつまでやっとるんか、という胴間声を、しばしば聞かされた。そのうえ、左の首から肩にかけての鈍痛もかかえていた。それらのことをどう受けとめていたのか、という質問である。

 不振の原因はバッティングの技術的な問題だと、かれは答えた。球を捉えるポイントをそれまでよりも前に置こうとした。それが結果的にいうと自分には合っていなかったのだ、と。

 ゲームを休んで一息いれれば調子が元に戻るのではないか、そんなふうには考えなかったのか、とも聞かれた。やると決めたんだから、痛みがつづこうが前向きにゲームにのぞむ、それが選手のつとめではないか、少なくともぼくはそう考えている。衣笠の答えはそういうものだった。

 かれは、時間が許せばもっと話したかったにちがいない。語るべきことは、ほかにもあった。


 昨シーズンの衣笠は、持ち前の明るさを失うまいと必死になって自分を支えながら、深く悩んでいた。

 左の首から肩にかけての鈍痛はキャンプのころから出ていた。衣笠の身体を新人のころから見ているカープのチーフトレーナー福永富雄は「オーバー・スイング・シンドローム」だといった。特にどこが悪いわけではない。バットの振りすぎなのだ。

「バットスイングを、もっと減らしたらどうかと、以前から話してはいたんです。でもダメでしたね。素振りをしているからバッティングの型が決まるんだ、ここまで素振りをしてきたからヘッドスピードが衰えずにすんだんだといって、相変わらず、振りつづけていた」

 もう一つ、異変があった。

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衣笠祥雄 最後のシーズン

山際淳司

2018年に亡くなったプロ野球界の往年のヒーローである衣笠祥雄と星野仙一。彼らと同時代に生き、信頼も厚かった作家は、昭和のレジェンドたちをどう描いてきたのか。8月に発売された山際淳司のプロ野球短編傑作選。 本連載では、表題作でもある「...もっと読む

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