4】ホームランを打ちたかったらドライ・マティーニにかぎる

22年目のシーズンの夏のある日、打撃不振にあえぐ衣笠はトレーナーの福永を酒に誘ったことがあった。そこで衣笠が注文したのはドライ・マティーニだった。なぜ、ドライ・マティーニだったのか。衣笠はその理由として教育リーグでアメリカに行っていたときの思い出を語り始める。鉄人の苦悩を描いた山際淳司「バットマンに栄冠を」cakes連載版、第4回。

 福永は、一年前の夏のある日のことをよくおぼえている。チームは東北遠征に出た。衣笠の打撃不振は深刻なものになっていた。

 そのころの一か月ごとの打撃成績を見るとよくわかる。6月、7月、8月と、夏の三か月間、かれは苦闘しつづけた。この三か月、いずれも一割台の打率しか残せなかった。

 ゲームが終わってホテルに戻った。

 衣笠は福永を誘った。ちょっと酒でも飲もうか、というわけだった。シーズン中に何度か、そういうことがある。衣笠の酒は、陽気なほうだ。快活にしゃべり、食べ、そして飲む。そのうちの一つが欠けることはまずない。

 ホテルのなかにあるバーに行き、飲むことにした。外に出るという気分ではなかった。

「ドライ・マティーニを飲んでみるか」
 と、衣笠がいった。

「ドライ・マティーニ?」

 なぜまた、ドライ・マティーニを飲んでみたくなったのか。そこが特別、おいしいドライ・マティーニを飲ませるバーにも見えなかった。ゲームが終わってシャワーを浴びたあとの酒としてドライ・マティーニがふさわしいとも思えなかった。

 昔、教育リーグでアメリカへ行ったときのことだよ──と、衣笠は語った。


 それは1970年10月末のことで、広島カープが若手選手を毎秋、アメリカへトレーニングに出すようになったのは、そのときが初めてだった。

 衣笠選手の「連続試合出場記録」は、じつはその年の10月19日、後楽園球場の対巨人戦から始まっている。あと数ゲームを残してシーズンが終わるというあたりである。衣笠は当然のことだが、ゲームに出るという記録が以後、足かけ18年もの長きにわたってつづいていくとは、その時点では思いもよらなかった。

 飛行機は羽田から飛び立った。ホノルル、ロスを経て最終目的地はアリゾナ州フェニックス。派遣された選手は6人で、そのなかにはプロ入り2年目のシーズンを終えたばかりの山本浩二もいた。そして、同じフェニックスに阪急の若手も派遣されており、そのなかにはホームランバッターとして注目を集めはじめていた長池徳二がいる。そういう教育リーグである。

 衣笠もまた、ホームランの魅力にとりつかれた選手だった。かれらにとって、ぜひこの人に教えてもらいたいというコーチがいて、名前はエディ・マシウスといった。

 マシウスはかつて、ブレーブスの三塁手だった。ブレーブスは、今はアトランタにあるが、1950年代の初めまでボストンに本拠地を置いていた。ボストン・レッドソックスに対抗するもう一つのボストンのチームが、ブレーブスだったわけである。

 エディ・マシウスは、そのボストン・ブレーブスに1952年入団してくる。翌年、ブレーブスはミルウォーキーに移転する。ミルウォーキー・ブレーブスである。現在のミルウォーキー・ブリュワーズとは別のチームだ。マシウスもミルウォーキーに移り、この時代に二度、ホームラン王のタイトルを獲っている。

 ミルウォーキー・ブレーブスは1966年、再び移転。アトランタ・ブレーブスと名前を変える。マシウスはそこまで付き合う。そして、翌67年、ヒューストン・アストロズ、さらにデトロイト・タイガースとトレードされ、そのタイガースのユニフォームを最後に、68年かぎりで、現役を退いている。ワールド・シリーズには3回出場。公式戦の通算ホームランは512本というバッターである。

 そのマシウスは衣笠が教育リーグに派遣されたころ、クリーブランド・インディアンズのコーチをしていて、フェニックスに来ていた。

 ある日、練習を終えたあと、長池、衣笠はマシウス・コーチと話をする機会があった。

「それで、こう聞いたわけだよ」
 と、スランプにつかまっている衣笠はトレーナーの福永にいうのだった。

「マシウスさん、ホームランを打つにはどうしたらいいんですか」

 日本から来た若い野球選手たちにそう聞かれて、マシウスはニヤリと笑った、という。若いの、そのコツを教えてやるからよく聞いておきなよ、というニュアンスである。そして、こういったのだ──。

「ホームランを打ちたかったら、ドライ・マティーニを飲むことだ」

「ドライ・マティーニ?」

「そうさ。男はドライ・マティーニを飲んだ分だけホームランを打つことができる」

 ブレーブスの三塁を十数年にわたって守りつづけ、通算で512本のホームランを打った男は、そういって、またニヤリである。


 そのときのことを、衣笠は思い出したのだった。

「ホームランを打ちたかったらドライ・マティーニにかぎる」
 衣笠はそういってグラスを干した。

 マシウスの台詞の、なんともいえずアメリカ的な、どこか楽観的でしかも、乾いた響きに、衣笠はひきこまれたにちがいない。

 バッティングに悩むくらいなら酒でも飲んだほうがいい、というニュアンスではない。ドライ・マティーニのちょっととりすました冷たい苦味。それを知ることが野球というゲームの苦さを知ることにも通じる。

 そしてそれを飲み干してしまえばいいんだという、明るい、楽観的なニュアンスも、そこには含まれている。

 何も考えずにドライ・マティーニを飲む。

 それを見て、福永は衣笠の悩みの深さを思った。

 チームはその年、優勝することができた。しかし、衣笠は苦しんだ。そういうシーズンが終わったとき福永は衣笠にいった。もうこれ以上、オーバー・スイングはやめてくれ。トレーナーとして責任はもてない。福永は「最後通告」のつもりでそういった。


 そしてまた新しいシーズンが始まろうとしていた。

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衣笠祥雄 最後のシーズン

山際淳司

2018年に亡くなったプロ野球界の往年のヒーローである衣笠祥雄と星野仙一。彼らと同時代に生き、信頼も厚かった作家は、昭和のレジェンドたちをどう描いてきたのか。8月に発売された山際淳司のプロ野球短編傑作選。 本連載では、表題作でもある「...もっと読む

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