Q.父のレイプ、母のネグレクト、援交、風俗、離婚、精神病院入院。それでも幸せになりたい…

壮絶な半生を生き延びてきた相談者さん。いまやっと、精神病院から退院したものの、この先どうやって生きていけばいいのか、まったくわからないと言います。
元メンヘラで現ハッピーリア充のスイスイさんが、幸せとはなにか、を考えました。

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母親への憎しみがとれない悩み

先月、真夏日の日中、自分の母親を路上へ置いてきぼりにさせて一人で帰宅したあと、すべての連絡手段をすべて断ち、私は親を捨てました。

子どもの頃、わたしは、父からレイプを受けて、食べものはろくに与えられない子どもでした。
今流行りの映画「万引き家族」に出てくる子どものように、家の中でも、学校にも、じぶんの居場所が全く無い子どもでした。

母は、毎晩、父に顔面を皿で激しく殴られて、頭から血を流していました。母は、わたしが小5の時に、夜逃げを決行しているのをわたしは目撃しました。
誘われませんでしたが、わたしは死にものぐるいで、母の自転車の後を追いかけました。

着いたのは、古くて昼間でも真っ暗な公団で、若いのに生活保護を受けて酒を飲んで公団の中を徘徊している人や、フィリピンの風俗嬢が密集して住んでいる、6畳ワンルームの部屋へ母とわたしは入居しました。

それから私は小5で役所へ行って転校の手続きをしましたが、転校先の先生からは、前の小学校の成績表も無いから成績がつけられないと言われて、そのためか、毎日、頻繁に授業中、指名されては立たされて問題をその場で解くような嫌がらせにあいました。
わたしは、解くことが嫌になり、立たされたまま、無言でいつも授業が終わるまで自分の席で立たされていました。クラス中でクスクスと笑われ、バカと書いた紙を投げつけられたり、アホと書かれた小さい紙が回ってきました。

うちに帰ると、母は23時まで毎日外泊しており、わたしはひとりでした。
母は家にいても、ゴルフのスイングの練習に熱中しており、私の顔の前で大きくふっていました。
母は不倫をしており、自分が帰宅するまでに、わたしがご飯や風呂の支度をしていないことにカンカンになり、毎日産まなきゃ良かったと憎まれました。

学校のことや、公団に住んでいるアル中の臭いデブ男にレイプされても、わたしは母へ相談することが全く何もできませんでした。

高校へ入学する時は父に学費を払ってもらえるように電話をかけたら、父は、インドネシアに住み幼女を金で買い、じぶんの嫁にしていました。
私もその中に入るように誘われましたが、何も言えませんでした。

私は公団に住む臭くてでかい体の男にレイプされたあと、性に目覚めて中学から体を売りました。それで毎月10万稼いでようやく、好きな時に好きなご飯が食べられる生活を手に入れました。性病にいつもかかって、痒みが酷くても公衆電話から連絡して男を見つけて抱かれて金をもらいました。

高校はほぼ毎日ラブホテルから通学しました。
それが普通だと思ってクラスの女子に話したあと、担任に呼びつけられて、誘われましたが、キモかったので断わりました。

大体そんな生活を高卒まで続けて、高校を出たあと、家を出て、昼は公務員、夜は風俗嬢の仕事を続けていました。

28で結婚をしてみたけど、夫から貢いで貰わないと愛情が湧かずに、わたしは電話で男を買って夫以外の人とセックスしまくっていたのが、バレて離婚しました。
それから、またひとりになって、昼は公務員、夜は風俗嬢に戻りました。

30を過ぎたある日、8才年下のイケメンに飲み屋でナンパされ、情熱的に求められたわたしは、初めて心と体のつながりを感じて再婚しました。
わたしが35を過ぎたあたりから、わたしを飽きたと話し、8才年下の夫が彼女を作り始めた頃から、夫が家に帰るとわたしは自分か、夫を殺そうとしました。

今から3年前に、捨てられ離婚をした後は、精神科病院のベッドの柵の中で過ごしました。

退院したのは、2ヶ月前です。生活保護を受給する件で母へ連絡が入りましたが、母は女手ひとつでわたしを育てたと主張し、いかにわたしが悪い人間なのかを主張しました。

退院後、引っ越しをした私の元へ母が来ました。

私は鬱と失声と8才年下の元夫から受けた暴力により聴覚が無くなっていましたが、母はずっとヘラヘラと表面的に笑い、お金無いの?と、私の引っ越した四畳半のアパートを見てキョトンとしていました。
母は、私が食事の準備をしないと、まるで子どものように、キョトンとしたまま、ねー、ごはんたべないのー?と言いました。

引っ越しの手続きをするために役所へ行き、着いた時に母は、私が体を壊したり、2回離婚したのは天罰だと言って、役所にいる、わたしの生活保護の担当者へ、わたしがいかに幼稚で頭が悪いのかを話し、自分がいかに立派にわたしを育てかを話しました。

その帰り、役所の前で母を置き去りにして、母がわたしに連絡できる手段をすべて断ちました。

わたしが欲しかったのは、毎晩ごはんをくれる人、悩みを聞いてくれる人、じぶんを信じて生活を共同で守ろうしてくれる親の存在でした。

私は親を捨てました。
でも、捨ててよかったのか、毎日悩んでいます。

スイスイさんが、わたしだったらどうしてましたか。

わたしは今貧乏の最中です。
セックスもしてません。
昼は作業所で過ごして、生活費は市からもらっています。

わたしは、幸せになる方法が分かりません。
お金を稼いでも愛情の飢えが止まらず、入院中、時間があっても穏やかな気持ちになりませんでした。

わたしは、この先、どうやって生きるのか、わかりません。
まったく、わかりません。

(メンフラ長子・39歳・女・公務員/風俗嬢・ガチメンヘラ)

朗報

まず何より何よりはじめに。
あなたは今「幸せになりたい」と思っている。

「こんな人生幸せになれるわけない」と決めつけたり「死にたい」「消えたい」などではなく、この自分を生きる前提で「幸せになる方法が分かりません」と葛藤できている。
それを探して、はるばるこの連載まで助けを求めに来てくれている。

これはほんの僅かでも幸せになれたならという、希望の光が視界に入っている証拠であり、きっとあなたが3年間の入院生活を乗り越えたことによる、大成果だと思う。そんな気力がなかったころもあっただろうし。

そしてそんな今のあなただからこそ、正常な判断においてお母さんのことを「捨てる」選択ができた。
たった今の自分にとって苦悩でしかない相手を切ることができたのは、むしろ健全であり、本当に良かったと思う。
(「母を捨てて良かったのか」という質問については後半再度回答します)

幸せとは2018

では。
「幸せに生きる方法」について。

幸せになりたい?
それなら、自分の本当の欲に向き合って。「死ぬまでにやりたいこと100」書いて。それ実行するだけだよ!

……と、今までの私だったら叫んでいたかもしれないが、今回は撤回します。
やりたいことが100個も書ける人は、あらゆる自分の価値や世の中の「普通」を信じられている人だ。

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メンヘラ・ハッピー・ホーム

スイスイ

“メンヘラ”とは、もともと「心の病を患った人」を指すネットスラングです。でも今ではすっかりカジュアルに偏在しつつある“メンヘラ”。その樹海から脱け出したスイスイさんが、我が身を振り返りながら、今さら聞けないメンヘラの基礎の基礎、そして...もっと読む

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コメント

ikechan0201 確かに伝説回。。 15日前 replyretweetfavorite

gisele_valefor https://t.co/pqec21W3oK この方文通に応じてくれるといいな…… 2ヶ月前 replyretweetfavorite

oaP1uF5LHCWeBrV 拡散すべきと考えてツィート。 相談者の体験もさることながら、回答者の覚悟と勇気を感じます。 #虐待 # 2ヶ月前 replyretweetfavorite

lalalatapa 相談者まじすごい 話もっともっと聞きたい 2ヶ月前 replyretweetfavorite