母から譲り受けた献立ノート
赤い表紙のノートが四冊。日付とともに、お客様の顔ぶれや品書き、活けた花、使った器などが細かくメモされている。母の献立ノートだ。料理だけではなく、空間時間すべてのしつらえが記されている。ページの片隅には、その時期に咲いている花、食べ頃の野の草なども書いてある。
そのノートを譲り受けた。八十をいくつか過ぎた母は、そろそろお客様を呼ぶのは体力的に無理だから、あなたのお招きの参考に、とノートをくれたのだった。
私も母の真似をして、春になると野草の料理で友人をお招きする。三月の終わり頃からゴールデンウィークぐらいまでの間に、何回か親しい人たちに声をかける。若い頃は、お客様となるとお使いだの雑巾掛けだの洗い物だのをさせられるので気が重かったのに、鎌倉の家に戻ってからは、親しい人たちに家の野草やとれたての鰺を楽しんでもらいたいと思うようになった。私の友人は、新しい店やはやりの店の凝った料理に慣れた人が多いから、素朴な食事をめずらしがるのではないかと思ったのがきっかけだ。
お客様の度、たどたどしく動き回る私に、母はいろいろなアドバイスをくれる。レストランではないのだから、特別なことをしなくていい。普段の生活にほんの少し彩りを加えるぐらいがちょうどいい。自分も一緒に楽しむほうがいらした方もくつろげる。ところが、「ほんの少しの彩り」の具合が母と私では違うようで、普段の食卓のままを出して、母に呆れられたり怒られたりする。
何を出すかではなく、どう出すかが大切、ともいう。食事は流れだから、全体を俯瞰で見なければならない。
そのために、数日前に献立を書き出してみること。味を想像しながら書き出していくと、必要なものや要らないものがわかる。似たような味が続いたり、「冷たい」「温かい」の変化をつけたり、それまでの内容によって最後の締めを考えたり、やってみると楽しい作業である。小説を書くことに似ている気がする。そう、献立は物語なのだ。クライマックスがないとつまらないし、一つの場面だけを盛り上げようとしても無理がある。
手順も書き出すようにいわれるのだけれど、これがなかなかできない。頭の中に入っているつもりになって、当日に忘れていてあわてることも少なくない。
野草の料理で最も大切なのはタイミング
そんな私でも、前日にできることはすべてすませておく癖はついた。アクを抜く、出汁をとる、牛すじのような煮物は煮ておく、米を研ぐ、など。最近は、シャンパーニュ用のグラスを洗ってタオルに包み冷凍庫に入れておき、折敷と箸置き、ぐい吞みをセットして布巾をかけておくのも前日に済ませる。そうすると、当日の野草を摘んでから、忘れたもの足りないものを買いに行く余裕もできた(足りないものがない時は絶対にない)。煮物のように時間をおいたほうがいいものと、新鮮さを優先したほうがいいものの区別は考えなくてもわかるようになった。
野草の料理で最も大切なのはタイミングだと母はいう。どの草が食べられるものかを覚えているだけではダメ。摘む時期が重要なのだ。一番柔らかくておいしいのはいつかを知っておく。
それを身につけるには、日々庭や道端を観察すること。お客様の日にちが決まったら、一週間ぐらい前から買い物やジョギングの行き帰りに、どの草がどの程度育っているかを把握しておくのである。ここら辺のタンポポはあまり太陽が当たらないから柔らかいし、育ち過ぎていないから明後日あたりがちょうどよさそう、というふうに。摘み草は予約できない。ライバルに先に摘んでしまわれた場合の保険の場所を頭に入れておくことも大切だ。
春の野草を楽しむために、花を活けることを習慣にしなさいというのも母からの教えである。庭や道端で花を採ろうと思うと、もっと見るようになるから。
友達が帰る時、「りり子のおままごとにつきあってくださって、ありがとう」と母がいう。いつになったら、おままごとを卒業できるだろうか。
お客様が帰って、すべての食器を洗い終わると、くたくたになっている。疲れとともに解放感と達成感がやってくる。タイミングが悪いと原稿の締切との綱渡りの時もある。それでも友人に声をかけるのは、この時期にこの場所でしか味わえないから。そして、忙しい友人たちがくつろいだ表情で「おいしい」といってくれるからだ。
その後の数日間、料理らしい料理はしなくなる。残り物を寄せ集めたり、余った天ぷらを甘辛く煮詰めて天丼にしたり、果ては玉子かけご飯だけで済ませたり。その落差が好きだ。
春のある一日の献立
母の献立ノートのことをエッセイに書いたら、親しい編集者にいわれた。
「りり子さんもご自分の献立ノートを書いておいたら」
今年こそ書き留めておこうと思いつつ、ばたばたしているうちに終わってしまう。献立は頭の中にあるつもりでも、いつの間にかうろ覚えになっていて、友達が撮ってくれた写真をインスタグラムにあげるぐらいが精一杯だ。
春のある一日の献立を書き出してみた。
*前菜の盛り合わせ 明日葉の胡桃和え、百合根の梅和え、フキの煮物、筍の皮炒め
*タンポポとかぶのサラダ
*山ウドの氷漬け、塩と味噌を添えて
*初鰹の刺身 *新玉ねぎのスープ
*天ぷら、タラの芽、人参の葉、山ウドなど
*土筆の卵とじ
*ヨモギの菜飯
*釜揚げしらす、お漬け物
お酒は、大仏ビール、グレイス・シャルドネという甲州品種の日本の白ワイン、久保田の純米大吟醸。
母のノートで二十年前の春の献立を調べてみたら、ほとんど同じような構成だった。具体的な反省点が短くメモされていて、参考になる。ページをめくっていると、この時は買い物に行って生麩を忘れて𠮟られたとか、あの日は母が大切にしていたお皿を乱暴に洗って割ってしまったとか、失敗ばかりが思い出される。
出張先で客死された講談社の原田隆さんがいらした日の記述もあった。鹿カツを用意していたのだが、肉好きな原田さんが「この間食べた熊の肉がうまかった」とおっしゃった。偶然冷凍庫に一切れ熊の肉があって、それもカツレツにした。あの日のことがいろいろと思い出された。
献立ノートの最後のページに、なぜか私の字で借用書が書いてあった。二十五万円とある。何のための借金なのか、きちんと返したのかどうか、こちらのほうはさっぱり記憶にない。