男に貢いだことがある。
と言うと、なんだかかっこいい。
と思ってしまうのは、モテなかった証だろうか。
改めて宣言しよう。
「一度だけ、男に貢いだことがある」
お金は人生を狂わせる
お金は、ありすぎてもなさすぎても不幸だ。先祖代々から裕福でそれがあたりまえになっている人達を除き、時代と幸運が味方して財を成したり、宝くじに当選したとかギャンブルで一儲けしたとか、何らかのアクシデント(あえてアクシデントと言おう)によって大金を手にした場合、よほど精神が強固でないかぎり足をすくわれてしまう。
あればあるだけ使うかもしれないし、うさんくさい儲け話に乗ってしまうかもしれない。はては人間関係もおかしくなったりして疑心暗鬼になる可能性だってある。なければないで何とかなるかもしれないが、やはりさもしいしみじめだ。結局、身の丈に合ったお金が一番人をしあわせにするのではないか。
お金の使い方にも人間性が現れる。私は幼少期から「お金は人生を狂わせる」と肝に銘じていた。いや、幼少期から誰かにお金を搾取されたとか(両親にお年玉を搾取されたことはある。「大金を持っていると危ないから、お母さんが預かっておくね」というよくある嘘だ。返してもらったためしはない)、誰かに騙されたとか、そういう経験は皆無だったが、いかんせん物心ついた頃から想像力だけはたくましかった私だ。
サスペンスドラマで誰かが殺され、捜査中の刑事の耳には必ず「あいつ、最近まとまった金が入ったって言ってたな」みたいな定番の証言が届く。そんな場面を目の当りにするたびに私は、まとまった金は危険なのだ、と思い知らされた。だから親戚からいただいた合計数万円のお年玉を、唇を噛みつつ両親に託したのだ。殺されてはたまらないから。
歪んでいても、愛は愛
話を最初に戻そう。私は一度だけ男に貢いだことがある。まとまった金=危険という刷り込みができていたのに、まとまった金を男に渡してしまったのだ。ええ、たとえバンドマンに熱を上げようとも「金銭の授受を要求されたら絶対に断る。たとえ縁が切れようとも」と自らにルールを課していたのに、だ。
若かりし頃、私は数人のバンドマンに入れあげたが、誰ひとりとして私に金の無心はしてこなかった。これはつまり、私の心や身体を好いていたというより、私にはお金の匂いがしなかったのだろう。安堵したと同時に、虚しくもなった。好きな人にまとまった金を渡せば、その男は危険人物となるかもしれないが、一時でも私を頼ってくれたのだ。お金という目くらましの裏に、歪んだ愛があるかもしれない。歪んでいても、愛は愛だ。
そう、貢ぐ、貢がせるという行為には愛がある。「でも、結局目的は金じゃん!」という憤慨や侮蔑の声も届きそうだが、お金と対になって愛があるから貢いでしまうのだ。私はバンドマンには貢がなかったが、私が貧乏くさい女という以前に、それほど親密にはならなかったのだ(悲しい)。
私が貢いでしまったのは、きちんとお付き合いした恋人だ。「貢いでいるあたり、きちんとはお付き合いしていないんじゃない?」とまた突っ込みが入りそうだが、結婚詐欺にしろオレオレ詐欺にしろ、まずは親密になってからこその貢ぎ関係ではないか。「オレオレ詐欺に親密もへったくれもないだろ」と鼻息を荒くしたあなた。オレオレの俺様は最初に「お母さん、俺だよ俺、マサルだよ」と息子ぶって電話するではないですか。これって、親密ぶっていますよね。
発端はバス代だった
そんなわけで私、一度だけ男に貢いだことがあるのです。その発端が、彼に貸したバス代である。バス代くらいでケチケチするなよ、本当に貧乏くさいね森美樹、とあきれないでください。彼から、いや彼が彼になる直前、「付き合ってください」と告白された日、舌の根も乾かぬうちに「バス代を貸して」と言われたのである。バス代も持ってないの? と訝ったが、まあ、そんな日もあるかもね、人間だもの、と思いなおして数百円を貸したのだ。お付き合いの返事はOKのつもりだったが、バス代の件で一抹の不安を感じた私は、その夜、友人に相談した。友人の返事はこうだ。
「付き合ってって向こうから告白してきたその日に、バス代を貸して、ねぇ。それって、人としてどうなのかな。でも、美樹はしっかりしてるし、私はその彼を知らないし、美樹が付き合うって決めたのなら私は何も言わないよ」。
その後、数百円のバス代は戻ってこなかった。
バス代数百円で四の五の言うのも大人気ないし、と私は私を戒め、正式な恋人同士となってもそのことについて言及しなかった。私が彼よりもふたつ年上だったことが、私の口を噤ませていたのかもしれない。
彼と私の付き合いは、表面上はうまくいっていた。彼は明るくて話術も巧みで、ルックスもよかった。お酒や料理にも詳しく、度々私の自宅で腕を奮ってくれた。私の自宅のみで、だ。お酒も料理の材料も、代金は私持ちである。その件についても私は一切言及しなかった。だって、私のために作られた料理はすべてとてもおいしかったから。
クズとは断定したくなかった
会うのは、外か、私の自宅だった。彼がひとりで住むマンションは知っていたし、建物の前まで案内されたのだが、なぜか部屋に入れてもらえなかった。彼の言い分はこうだ。
「俺、結婚してた時(若くして彼はバツイチだった)、いきなり奥さんに出て行かれたんだよね。それがトラウマで、一度好きな人を部屋に入れたら、もう二度と帰したくなくなっちゃうんだよ。不安で不安でたまらないし、さみしさにもたえられない」。
私は涙ながらに納得した、ふりをしていた。
ここまで読んだ聡明な方は、そいつクズじゃん、とあきれたでしょう。私もわかっていましたよ、クズかも、って。ええ、かも、です。クズとは断定したくなかった。だって、好きだったから。
彼はよく私を自転車の後ろに乗せて(自転車は私物です。もちろん)、「一緒に住んだら、フランフランで雑貨を買おうよ」だの「今度、ピアノ弾いてあげるよ」だの(彼は音楽にも長けていた)、河川敷を走りながら夢を語った。私はそのささやかで美しい夢にのっかった。自転車ふたり乗りよりも、危うくて脆いとわかっていても。
万札が私の手元から離れた時、終わりの予感がした
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