中島岳志(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授)、枝野幸男(立憲民主党代表)
右左を超えた経済政策
中島 立憲民主党のもうひとつの柱である「リスクの分散」について、枝野さんは「困ったときに寄り添い」という日本の庶民感覚にも寄り添った言葉で表現していますよね。さらに、アベノミクスに対して、再配分こそが経済政策であると位置づけました。本来、再分配は自民党の保守本流が取り組む政策でしたよね。
枝野 僕は1964年生まれ53歳なので大平(正芳)さんの時代を知っていますが、あの時代に社会党が政権を取れなかったのは、彼らが提案していた分配政策を自民党の大平さんや田中角栄さんのような保守がやっていたからです。
中島 だからこそ、枝野さんは自分を“保守”と名乗っている。
枝野 僕自身も、日本新党と新党さきがけに所属していたので、自分のベースが保守だという感覚があります。日本新党を設立した細川護熙さんは自民党出身ですし、新党さきがけも自民党の中のリベラルな議員が結党したものです。
中島 枝野さんの議員生活は、1993年、細川内閣の時にスタートしています。最初は与党ですが、旧民主党設立以降、しばらく野党生活になります。その辺りから自民党には橋本(龍太郎)内閣の行政改革などに新自由主義的な要素が入ってきます。自民党が変容していくプロセスを、野党という立場から見て来られたと思うのですが、この20年間の自民党の政策の変化をどう見ていますか。
枝野 橋本行革の時は、私も、私の周辺の人も立ち位置がはっきりしなかったと思っています。「税金の無駄に切り込まなければならない」論は、むしろ自分たちが主導したという意識もありました。官僚などと結びついている既得権益を壊すことが大義でした。
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