ペース配分を練っている誰かの労苦
今年も奇跡的に終了直前にゴールした24時間マラソン、と、わざとらしく書いてわざとらしく気付くのは、「今年も奇跡的に」という矛盾である。もちろん、これまでの放送回では番組終了に間に合わなかったケースもあるが、自分を含めて、24時間テレビに対して懐疑的な見方をする人は少なくないのだから、奇跡的な終了直前ゴールを演出するのではなく、本人のペースに任せて、終了45分前に到着、ゴールしているのに「負けないで」がかかり、「ほらそこに ゴールは近づいてる」とみんなで歌って苦笑いするという場面があってもいいのではないか。
今回のゴール直前の要素を見ても、みやぞんが愛犬への想いを語るVTRがあり、DA PUMPが一部の歌詞を「みやぞん」に変えた「U.S.A.」を歌うなどてんこ盛りだったので、早めにゴールしては困るのだろう。走っている当人はもちろん大変だが、ギリギリにゴールしてもらうためのペース配分を練っている誰かの労苦を予想して、そっちに感動してしまう。
感動するかしないかわからないからこそ感動するわけで
2016年に、24時間テレビの真裏でNHK・Eテレ『バリバラ』が「検証!『障害者×感動』の方程式」と題した、24時間テレビを挑発する番組を放送して以降、24時間テレビに対して、「偽善!」との声を表立って向けやすくなった。しかし、そもそも「善」を真偽で査定するのはだいぶおこがましいとは思うので、「またですか」と呆れ顔にとどめてしまう。感動というのは、感動するかしないかわからないからこそ感動するわけであって、「さぁ夏の風物詩、今日と明日はみんなで目一杯感動しましょう!」との屈強な定義は、その環境の中で葛藤する当事者に対して失礼ではないかと思う(この場合の当事者とは、実際に参加されている方々だけではなく、同じような境遇にある方々も含む)。
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