最終回】消費でない消費を求めて

あらゆる分野において人々がより本質的なものを求める傾向が高まっています。この傾向により、人々は消費行動に関しても、「本質的でシンプルな快適さ」を求めようになってきたといいますが……。 好評発売中の『中身化する社会』(星海社新書)から、第1章・第2章をcakesで連載していきます。別途掲載の著者・菅付雅信さんのインタビューとご一緒にどうぞ!

『第四の消費』が示す、浪費でない消費

 ライフスタイルのこのような大きな変化のうねりを的確に描いた本として、消費研究家、三浦展氏の『第四の消費』(朝日新書 2012年)が話題を呼んでいる。

第四の消費 つながりを生み出す社会へ (朝日新書)
第四の消費 つながりを生み出す社会へ (朝日新書)


 そのなかで三浦氏は、「第一の消費」を20世紀初頭に少数の中流階級が消費生活を楽しむこと、「第二の消費」を高度成長を背景に大量生産・大量消費を家族を中心に追求すること、そして「第三の消費」を個人が軽薄短小の個別の商品を消費することと定義し、さらに「第四の消費」とも言うべき新しい消費傾向の台頭を論じている。
 それは、個人から公共へ、私有からシェアへといった流れであり、個人間のつながりが重視される社会へと人々の関心が大きく変化していると、豊富な事例を挙げながら説明している。
 なかでも、「消費」と「浪費」の彼の定義が興味深い。

「消費には、使い尽くすという意味と完全なものにするという二重の意味がある。
 必要以上に使い過ぎる消費、使い捨てる消費は浪費であり、使った後に使い切って余力がない消費は消耗である。
 そのことは、体力や時間に消費という言葉を使うときのことを思い起こせば、よくわかる。体力の消耗とは、体力を使い過ぎて、余力がないことである。消耗戦と言えば、実りのないことのために、疲れ果てるまで時間をかけることを言う。
 時間の浪費とは、使った時間のわりに成果がない、楽しさがないことである。われわれは浪費や消耗を望んでいないのだ。
 しかし、そもそも時間を消費しなければ、楽しい時間、充実した時間を過ごせない。適切な運動によって体力を消費しなければ、健康は維持管理されない。
 その意味で、われわれが望む消費とは、まさに自分を完全なものにする、自分を回復する、あるいは充実した時間を過ごすためのものであると言える」

 その三浦氏に雑誌の取材で話をうかがった。
 彼は、この「第四の消費」の傾向はかなり前からあり、それが顕在化してきたのだと言う。

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中身化する社会

菅付雅信

生きるうえで大事なことが、変わりました。ネットの進化、そしてソーシャルメディアの爆発的普及によって、テレビや広告などによるイメージ操作は、ほぼ効かなくなったのです。それは、ウソや誇張はすぐに検証され、バレてしまうため。すべての「中身」...もっと読む

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コメント

sanukimichiru  またしてもウイリアム・モリスにここでであったのだった。 4年以上前 replyretweetfavorite

porpor35 「人々は「イメージに頼らない本質の追求」という、新しい競争状態に入っている」 4年以上前 replyretweetfavorite