水曜日の入院から2晩、ついに当初の出産予定日である金曜日が来た。僕は、緊張状態の前夜に訪れた謎テンションでの同人誌フラッシュセールや育児の予習復習、そしてスプラトゥーンを経て安定の寝落ち、ねむたい早朝をソファで迎えた。
LINEを開けば、ついに今日「来る」らしいという報せが。妻は深夜に子宮口が3割がた開き、破水認定も受けたそう。9時に促進剤を投与するそうなので、いよいよ壁は無くなるぞ(Dragon Ash)という状況だったとのこと。実際この頃から彼女の脳内で「Deep Impact」が鳴り止まなかったそうだ。
急な有休をもらい、同人誌を郵便局に放り投げてから自転車で30分ほど離れた病院へ。天候との相性は悪く薄曇りの空、依然としてじわっと暑い5月にペダルを力みがちに踏む。一刻も早く妻のもとに行きたいのに、全力で逃げ出したくもなる道中の不思議。「ウワーッ」と都会でもかまわず叫びだしそうなので、急いで音楽アプリをスピーカー出力で開いてごまかす。しかし、もうどんな音楽でも情感があふれてしまうくらい音の聞こえが冴えていて歯止めがきかない。「こんなんで事故ってはシャレにならんぞ」と不安がっていたあたりでFANATIC◇CRISISが流れ、石月努の平熱を飛び越えない音域のボーカルでようやく落ち着きを取り戻せた。
病院に着き、分娩室で聞こえる人様の絶叫をBGMにして3日ぶりの陣痛室へ。ベッドに横たわっていた妻は、昨日以上に無理ゲー感を明らかにした生き物になっていた。ああ出会ってから今日が一番の無理顔。きみ、つらいときこんな顔をするのか。しかも数分おきで「ぁあ——」と痛みのピークにうなり声を出す。
ロクに眠る機会を与えられないまま50時間超、臓物を雑巾絞りされたような痛みと戦い続けた妻。基本的にはヘラヘラして僕を甘やかしている人がいま、痛みと眠気で目はうつろ、顔はじんわり赤く、体はじっとり湿って熱く、最高潮に不機嫌である。定期的な陣痛の発生に合わせ、腰からケツあたりを指数本くらいのピンポイントで押してやるとラクになるらしいが、少しでもポイントがずれれば「…ッ違ァう!!!」と叱咤。「使えねえな!」といった口調でパートナーから言われるのはなかなかショックだけれど、この日おそらく50回ほど訪れた陣痛でポイント合ったの10回あったかどうかなので、まあ間違っちゃねーわ。事前にいろいろな体験談を読んできた中で陣痛の最中に暴言を吐いた云々のほんわかエピソードに触れてきたが、まさか自分がここまで役に立たないなんて想定もしていなかった。
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