ゴールデン・ウイークの渋谷は観光地としての表情を見せる。多くの人たちが「一度は渋谷に行ってみたい」と思ってくれるのは渋谷で店をやっている人間としてはとても嬉しい。誰かの五月の休日の思い出が渋谷の風景になるのは誇らしい。
街の雑踏を感じる音楽を奏でるアーティストは誰だろうと、しばらく考えてみた。
イギリスにエブリシング・バット・ザ・ガールという男女二人組のグループがいる。彼らはミュージック・ヴィデオ全盛時代の一九八〇年代にデビューしたが、二人とも音楽や文学が好きそうな内気な雰囲気だった。八〇年代の派手で華美な空気の中、それが逆に新鮮で全世界の繊細な若者たちの心をとらえた。
そんな彼らは四枚目のアルバムで『ラブ・イズ・ヒア・ホエア・アイ・リブ』という曲を歌っている。「自分の場所はここ、愛はここにある」という歌だ。
私がそのレコードをかけていると、バーの扉が開きベレー帽にスカーフ、ボーダーの長袖Tシャツを着た女性が入ってきた。
年は四十歳くらいだろうか。目は大きくて唇は小さくてぷっくりとしている。おそらく以前はずいぶん綺麗だったんだろう。
「どうぞ」私がそう伝えると、彼女は少し不安そうな笑顔を見せ、カウンターの一番端の席に座った。
「私、お酒飲めないんですけど、どういう風に注文をすればスマートですか?」
「実は、バーテンダーとしては、お客様にバーならではの空気を味わっていただきたいので、ウーロン茶なんて注文されると寂しいなあと感じます。せっかくバーテンダーがいるんだから、バーならではのノンアルコール・カクテルなんていかがでしょうか」
「なるほど。じゃあ何かおいしいノンアルコール・カクテルをお願いします」
「かしこまりました。ケーキやチョコレートに入っているくらいのほんの少しのアルコールでしたら大丈夫ですか?」
「そのくらいでしたら大丈夫です」
「ではフロリダというカクテルを作りますね」
「それはどんなカクテルなんですか?」
「アメリカに禁酒法時代というのがあったのはご存じですよね。その時期、ビターズという薬草酒だけは医薬品として輸入できたので、当時のアメリカでも普通に流通していたんです。
そのビターズを少しだけアクセントに加えるカクテルのスタイルで禁酒法時代に誕生したのがフロリダです。オレンジ・ジュースとレモン・ジュースと砂糖、そこにビターズを二滴たらして、シェイクします。アルコールは二滴だけですからほとんどノンアルコール・カクテルです」「二十世紀前半の禁酒法時代にアメリカで誕生したカクテルですか。本格的ですね。楽しみです」
私はちょっとハードめにシェイクし、柄の長いショートカクテル・グラスに注ぎ、彼女の前に出した。
「ああ、カクテルですね。おいしい。なんだかすごく大人になった気分。あ、私、十分大人ですよね」
そう言って笑うと、彼女はこんな話を始めた。
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