愛してますか先っぽまで
次回は「足」でどうでげしょね、と担当さんにメールを送った翌日、何の因果か階段でコケて盛大に足首を捻挫してしまった。いま、私の頭の中は七割くらい足首のことで占められている。超痛いから。しかし痛みでも感じてないと、普段足首とか足の指なんかをぜんぜん意識しないで生活してたんだなと気付いた。
「頭のてっぺんから足のつま先まで」という慣用句が示す通り、足の先まで気を配っている人はそれだけで全体がちゃんとして見える。気がする。私はと言うと当然ぜんぜん気を配っておらず、足の親指の根本にのみやたら長く生える指毛もフリーダムに伸ばしっぱなしの状態だ。カカトもだいたいガサガサだし、ほとんどかまってやっていない。
以前カタギの勤め人をしている友達んちに泊まりに行ったら風呂場に軽石やクリームなどのカカトケアグッズが揃っており、「ちゃんとしてるなあ」と感心したら「ちゃんとしないとストッキングが伝染すんだよ……」と半ば呆れ顔で教えてもらった。ストッキングなんてここ十数年気の向いたときか葬式くらいでしか穿かなかったので、その発想はなかったと二度感心してしまった。
足回りの整備
女子が会社員をやる上でなぜか義務のように組み込まれてしまっている面倒事の代表といえば「化粧」だが、企業や業種によっては「ストッキング」「ヒールのあるパンプス」も義務化されているところがある。これがまたちゃんと装備するにはただ履けばいいという代物でないのがめんどい。毛の処理、カカトをすべすべにしておく、爪を整えておく、最低限この工程を経ても寝坊した朝に急いで足を突っ込むとティッシュのように裂けるのがストッキングという悪魔の布だ。ちゃんとしてないと身に付けられない物体を義務化するというのは、「社会に進出するつもりならちゃんとしとけよ」という無言の圧力を感じてしまう。女のくせに身なりにだらしないまま世に出て働くのは許さん、というご意見の象徴のような布だ。ストッキング。
パンプスも、最近は「走れるパンプス」「痛くないパンプス」などが開発されているが、何をどうしたってつっかけサンダルやスニーカーほどには楽な履物ではない。私も何度か履いてみたけど、やっぱり多少は痛いし、多少は歩きにくい。それを週五~六日装備して、場合によっては立ちっぱなしとか歩きっぱなしとかしないといけないとなると、もうこれはソフトタッチの拷問と呼んでもいいのではないだろうか。辛そうで辛くない、でもやっぱり辛い拷問。
美が苦痛に変わるとき
ハイヒールやパンプスそのものは好きだ。ハイブランドの美しい靴を見たときなど、その繊細な美にため息が出る。ハイヒールを履いて完成するファッションというのもあるし、それを楽しむこともある。しかし義務的に装備して長時間立ったり歩いたりするとなると話は別。私は、人類が発展してきたのは生活において「いらん苦労」をなるべく除外するためだし今後もそうすべしという思想を持っているので、仕事という避けて通れない事態にパンプスやストッキングという苦痛を伴うアイテムを義務化するのは超いかん、と思っている。痛くてしんどいうえに、これが女体で生活する者にのみ押し付けられているのが、倍プッシュでいかん。
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