ブルックリンで体験した「コンフォート」の波
ニューヨークは、訪れるたびに発見がある街だ。
2012年5月、1年ぶりにニューヨークを訪れた際、中心であるマンハッタン島の東側、イーストリバーを渡ったブルックリンにある話題のカフェ・レストラン「マーロウ&サンズ」で食事をする機会があった。
by Gary Stevens
内装は、ヴィンテージの椅子を中心に、他は店員たちの手作りによる、きわめてアットホームなもの。派手さはまったくない。
料理はサラダ、ニジマスのサンドイッチ、ポーチドエッグ、チョコレート・タルトなど、よくあるアメリカン料理がメニューに並ぶが、それらすべてがブルックリン郊外の契約農家からのオーガニック食材で、丁寧に料理されて出てくる。
そして、素材が力強く、驚くほど美味しい。
ニューヨークに長く住む現地のライターの方いわく、
「こういうのはコンフォート・フードと言うんです。こういうお店が、ニューヨークではとても増えていますよ」
「コンフォート」は「快適」という意味で、昔からある言葉だ。「コンフォート・フード」は、直訳すれば「心地良いアメリカ家庭料理」と訳せばいいだろうか。
食のライフスタイル・マガジン『ACQTASTE』のウェブサイトでも、マーロウ&サンズは「地に足がついた食事を求めるブルックリン住人への、地元のコンフォート・スポット」と紹介されている。
このマーロウ&サンズは、隣に併設する飲食店「ダイナー」と、近くにある精肉店「マーロウ&ドゥターズ」、そして、訪れた1週間前にオープンしたばかりのホテル「ワイス・ホテル」と同じ経営で、これらの店が、このブルックリンのウィリアムズバーグ地区の活性化に大きく貢献している。
さらに『ダイナー・ジャーナル』という美しい食のカルチャー雑誌も2006年から季刊で発行し、これはニューヨークの多くの書店や雑貨店に置かれ、日本にも輸入されている。
マーロウ&サンズの共同オーナーである、アンドリュー・ターロウとケイト・フリングは、彼らの哲学をこのように語る。
ターロウ「決定的にオーガニックということだろうね。すべてをハンドメイドにしたかった。このテーブルもそうであるように」
フリング「私はこの店は未来志向だと思っているの。大学ではポスト・モダニズムを専攻して、意味の欠如こそがポスト・モダンで未来的であるかのように勉強したのだけれど、私たちの世代は再び意味があることを見つけようとしていると思う。今、人々は自分たちの手でものを育てることの復活を試みようとしている。人々とつながろうとしているし、とてもこだわろうとしている。人生の意味は、その土地や仕事や人々の中にあるのよ」(Lifestyle magazine『KINFOLK』Vol.3 2012)
そして、マーロウ&サンズで出会ったこの「コンフォート」という言葉が、ニューヨーク滞在中、さまざまな局面で使われており、コンフォートという概念が変質し、広がっているのを感じた。
単に「快適」を示すものではなく、衣食住すべてにおいて、「本質的だからこそ心地が良い」ことを意味するものへと変容していると言えるだろうか。
さらに、このコンフォートという言葉を見直すことによって、さまざまな変化の潮流が、可視化できるようになった。
『セックス&ザ・シティ』の女優はコンフォートへ
たとえば、コンフォートという言葉と対極にあるような人物ですら、その価値観を変化させている。
ニューヨークの華やかさを象徴するテレビドラマ『セックス&ザ・シティ』の主演女優、サラ・ジェシカ・パーカーが、最近、ニューヨーク郊外のブリッジハンプトンに週末用の別荘を建てた話が、インテリア雑誌『エル・デコ』に掲載されていた。
そこで、パーカーはその別荘のインテリアについてこう語る。
「私たち夫婦にとって、家は気取ったものであってほしくなかったの。派手さや見栄はまったくほしくなかった。気持ちのいい色と光、そして徹底的にコンフォート、コンフォート、コンフォートであってほしかったの!」
コンフォートという言葉を、おまじないのごとく3回も唱えている。
ブルックリンで注目のカジュアル・ブランド「アウトライナー」は、そのコンフォートで徹底的にハンドメイドな姿勢で注目を集めている。
アウトライナーの共同設立者であるエイブ・バーメイスターは、ウェブマガジンの記事「Brooklyn’s Outliner Synthesizes Comfort, Performance And Style」(ブルックリンのアウトライナーはコンフォートと機能性、そしてスタイルを調和する)にて、彼らのブランド哲学を「使い捨て文化への抵抗」だと語る。
「人々がもしいちばん安いものだけを買いたいのなら、彼ら自身が実は踊らされていることを知る必要があると思う。
このディスカウント至上主義は、いわば中毒だよ。この不況のサイクルが、労働者の削減や環境破壊、ひどい商品の氾濫を引き起こしている。
もし人々が使い捨ての商品ばかりを求めるなら、僕らの仕事もいつか使い捨てにされることに驚いてはいけない。
このサイクルを突破するひとつのやり方は、目を覚まし、品質を求めるようにし、そして、よく仕立てられて長持ちする、意味のある商品を買うことだと思う」
カジュアル・ダウン化が進む世界
「本質的だからこそ心地が良い」というコンフォートの波は、特に人々のファッションに変化を及ぼしている。
今回のニューヨーク滞在中に、街を行き交う人々を見ていていちばん印象深かったのは、とにかく人々の装いがカジュアルになっていることだ。
by Jordan Sim
街を歩いても、地下鉄に乗っても、高級レストランに行っても、スーツやネクタイをしている人が本当に少ない。みんなシンプルで気軽、それでいて安っぽくない恰好をしている。
滞在中に仕事の打ち合せや取材で、いくつかのオフィスを訪れたが、皆、実にカジュアルだった。ウォール・ストリートに行けばスーツ姿の金融関係者もいるのだろうが、アップタウンもダウンタウンも、東京と比べると、はるかにスーツ姿を目にすることが少ない。
女性も、いわゆるコレクション・ブランドの流行の服を着ている人を、東京のように頻繁に目にすることはなく、街全体が急速にカジュアル・ダウンした印象を受けた。
カジュアル化が進むのはニューヨークの話だけではない。
イギリスのBBCニュースが英国の2000人のビジネスマンに調査したところ、スーツを毎日着るのは10人に1人という結果が出たという。(2011.2.11)
さらに、イギリスの「インデペンデント」紙2012年3月4日号は、「世論調査の結果、74%の人々が、ネクタイは今後50年以内に消滅すると予測している」という記事を掲載しており、その傾向には、フェイスブックやグーグルのような、カジュアルを好み、フォーマルな装いを避ける傾向を持つ情報通信会社の急成長が影響していると述べている。
また、世界的な起業家として知られるヴァージン・グループのCEO、リチャード・ブランソンは、常にカジュアルな装いで知られるが、「もはや今日のビジネスでスーツやタイは機能的でないし、時代遅れ。完全にアナクロニズムだ」と語っている。(2012.5.29)
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