8月は一年の「真ん中」ではない
いよいよ8月です。毎年、お盆を過ぎると時間が一気に加速するような感覚を抱きます。これはなぜなのかと考えたところ、ある仮説に行き着きました。それは「カレンダーの錯覚」という現象です。
一年が始まったとき、私たちは「1月始まりのカレンダー」で時間を認識しています。ところが3月が終わって年度が変わると、学校生活の影響で無意識のうちに時間感覚が「4月始まりのカレンダー」へと切り替わります。夏休みというと何となく「真ん中」のような感覚がありますが、それは「4月始まり」での話。忘れがちですが、実はすでに一年の3分の2が終わろうとしているわけです。
おそらく、お盆を境にカレンダー感覚が「4月始まり」から「1月始まり」に戻るのではないか……。それで、真ん中だと思っていた8月が〝後半のなかば〟であったことを突如認識し、はしごを外されたような気分になる。そして、ここから一気に年末へと時間がばく進していく──。これが「カレンダーの錯覚」という仮説です。すみません、だから何だって話ですね。
現代社会に広がる〝実用至上主義〟の風潮
大学1年の8月は確かに「人生のうちでもかなり自由度の高い夏休み」だと思います。さしたる義務もプレッシャーもなく、目の前にはあり余る自由が広がっている。だから時間のかかる読書に挑戦し、マニュアルの整備されていないバイトに勤しみ、目的のない旅に出よう──と、トミヤマさんはそうアドバイスしてくれたわけです。これを読んで、「ホントその通りだよ!」と、自分も首がもげるほど頷きたい気分になりました。なぜなら、これはものすごく現代的な助言だと感じたからです。
私は以前、出版関係の制作会社に勤務し、様々な大学のパンフレットを作る仕事に携わっていました。数多くの学生や教職員にインタビューする中で感じたのは、〝実用至上主義〟とでも呼びたくなるような傾向の存在でした。
それは何か。たとえば授業のカリキュラムには、「TOEICで何点取れる」「○○という資格が取得できる」といった具合に予め目的が設定されていました。また、短期留学やインターンのプログラムにも、「こんな体験ができます」「就職に有利な○○能力が身につきます」とメリットが具体的に明記されていた。そうしないと、学生が集まらないのだそうです。
転んだり揺れたりすると、一気に崩れる
勉強も、インターンも、アルバイトも、旅行も、「○○のために」する。あらゆるアクションには目的やメリットが設定されており、それがないもの、あるいはコストに見合ったリターンを得られないものは、すべて「無駄」「意味がない」となってしまう……。これが先に実用至上主義と呼んだ考え方であり、大学に限らず、この風潮は近年ますます強まっているように感じます。事実、話を聞かせてくれた大学生の多くも、「TOEICや資格のための授業は最初から必修科目になっている」と語っていました(もはやデフォルトなんですね)。
確かに効果はわかりやすいし、目に見える資格は、安くない授業料の対価として必要なのかもしれません。しかし、一方でこれは非常に息苦しい考え方だとも思います。なぜなら、そこには余裕、遊び、猶予、余地といったものが全然ないからです。「ムダのない効率的な学習」と言えば聞こえはいいですが、たとえば「関節がガチガチに固い人」や「内部構造に遊びのない建造物」を想像してみてください。……どうでしょう。衝撃を吸収する余地がないため、転んだり揺れたりしたときにものすごく弱そうですよね。実用至上主義もそれと似ています。
自由を与えられても、何をすればいいのかわからない。イレギュラーな事態が起こると、心身がフリーズしてしまう。失敗すると一気に崩れてしまうし、教えられてないことはできないし、誰かに指示されないと動き出すことができない……。これは実用至上主義の悪しき副作用だと思うわけですが、こういった事態を回避するためにも、ぜひ身につけたいのが「探索能力」です。
探索能力=「自分なりに何とかする力」
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