9月6日
東京に引っ越して初めての夜、自転車で散策。
妻にまかせて(正確には候補地を挙げたものの一蹴された)やってきたこの地、環境を重視した場所だが、まだ夜の10時半なのに、閉まっている店が多い。人気が少ない。
パチンコ屋がないのはいい。しかし後日、自転車でぶらぶら確認したところ、100均はもちろん、吉牛や王将や富士そばといったメジャー飲食チェーン店も見当たらない。
家から200メートル圏内に飲食店がゼロ。
歩いて15分の距離にようやくラーメン屋と弁当屋を発見。
町のパン屋さんとケーキ屋さんがゼロ。
つーか商店街がない。
コンビニよりスタバのほうが多い。
こんな町、信じられるか?
三茶、京都四条という美味い店ばかりの街に住んでいただけに反動が大きい。
中野や高円寺といった中央線界隈とは真逆。庶民が暮らす街ではない。
ああ、前妻と別居した直後に住んだ、「忌まわしき陸の孤島」茗荷谷を思い起こさせる。
あそこは半年で限界だった。
この街にあるのは高級ブランドショップと美容院だけ。着飾ったバカしか歩いてねえ。どいつもこいつもモテそうな奴ら。
俺に言わせりゃおまえらは人間じゃねえ。
見得人形だ。
ホラー映画でセックスするカップル同様、俺の小説の中でも真っ先にぶっ殺される連中だ。
夜のブランドショップ壊して回ろうか。
爆破してえ。
9月7日
ふさに諭され、お宝として保存し続けてきたDIESELを、一部手放すことにした。
ああ、振り返れば1993年、ハンガリーはブタペストの地下街で、初めてDIESELを知り、Tシャツを購入した。
そこからが我がDIESEL人生の幕開け。93年頃、日本にようやくDIESELの代理店ができて、原宿駅から遠く離れた、小さいショップにしか置いてなかった。
あれから幾星霜。金が溜まると、古着も含めて、ちまちまと買い集めてきた。
おうよ、歴代の彼女はみんな嘲笑ってきたよ。
「DIESELってイタリアのブランドだから手足が長いんだよね。ジーンズを切った分で軽く短パンが作れそうだね」
「全然似合わない」
「ブランド殺し」
「あれでしょ、プロ野球選手がプライベートで着てそうな服でしょ。センスがないダサい奴が〝これさえ着てれば大丈夫〟って思ってんだけど全然大丈夫じゃないみたいな」
「だからね、あんたはユニクロとかギャプとか、ふっつーのが似合うんだから。DIESELは顔が向いてないから」
だけどおいらはDIESELを着続けた。しかし狭い新居には入りきらない。
さらばDIESEL!
ラグタグに持って行った。
「こんなヴィンテージもの、DIESELマニアなら驚いて、高く買い取ってくれるだろうなあ」