たとえ話が、あまりにも下手だった
せきしろ 番組のきっかけをお聞きする前に……これって、なんで「BAR」にしたんですか?
細川 たとえば、たとえば、たとえば、たとえBARっていうダジャレなんです……。
せきしろ なるほど。
細川 10年前に『たとえば』っていう企画書を書いていて。番組づくりの師匠(「ねほりんぱほりん」の大古滋久チーフ・プロデューサー)と、そこに何か1つ世界観をのっけようということで。番組も、何かと「BAR」にちなんでたとえていて、ドリンクのオーダーひとつとっても、壇蜜さんの注文は「三十路女の勝負下着のような真っ赤なカクテル」といった具合で。
せきしろ その企画、10年前から温めていたってことですか?
細川 はい、じつは東京に異動してきて、最初に書いた企画なんですよ。自分が人に何かを説明するとき、すごい頻度でたとえ話をするんだけど、あまりにも下手で、よけい相手がこんがらがっていることに気づいてしまって。でも、すごい人、デキる人ってたとえが上手いじゃないですか。
せきしろ すごい人っていうのは?
細川 たとえば、人気の寿司職人3人が自由に語る番組をつくったときに、1人の職人さんが「お客さんから『大将、今日はおまかせで』って言われたら、自分は、箱根駅伝で考える」って答えてて。
せきしろ 箱根駅伝?
細川 「やっぱり2区がエースだから、2区にマグロ」「復路の9区も大事だから、そこにアナゴを持ってくる」っていうたとえをしたんです。そういうヘーって思わせる見立て方ができるのがプロだなと思ってて。そんなこともあって、たとえで番組ができないかなと思ったんです。ほんとうにパッと、小田急の駅のホームで思いついたんですけど。
せきしろ それが、10年かかってやっと通ったんですね。
細川 そうなんです。上司には「目のつけどころはいい」と言われたんですけど、当時の僕はまだ駆け出しだったんで、「たとえ」という抽象的なテーマをテレビ番組のフォーマットに落とし込むだけの、実力も引き出しもありませんでした。それでこの10年の間に何回か企画を出してたら、ついに時代がたとえに追いついてきた……のかわからないですけど、やっと通ったんです。
「贅肉が生き生きするって、いいだろ?」
せきしろ 名刺に「青少年教育番組部」って書いてたんですけど、ふだんどういう番組をつくっているんですか?
細川 「青少年教育番組部」は、勝手に僕がたとえてるだけですけど、「学校チーム」と「放課後チーム」に分かれていて、学校チームは、社会科とか理科とか、子どものころ学校で見たような教育番組。最近ヒットしたのだと『昆虫すごいぜ!』とかをつくってます。で、僕が所属してるのは、「放課後チーム」というか。『天才てれびくん』とか『ねほりんぱほりん』とか。なので、あまり緊急性のない番組っていうか……。わかります、この感じ?
せきしろ わかります、わかります。
細川 NHKって、やっぱり、どうしても報道のイメージが強くて。実際すごく大事なんですけど。それに対して、うちの部の大先輩が、「ここはNHKの贅肉だ」「贅肉が生き生きする組織っていいだろ」とたとえた話に、僕もすごく感銘を受けて。
せきしろ 贅肉。
細川 はい。僕がつくってきたものって、ぶっちゃけ、1分1秒を争う緊急性のあるものじゃない。だけど、多彩なコンテンツを出すためには、いろんな目線や表現方法で物事を伝える意識を持たないと、なんだか痩せたものしか生まれなくなってしまう。そういう意味で、それなりに誇りを持ってやってはいるんですけど、贅肉として。
せきしろ 「たとえ」もまさしくそうですね。『たとえる技術』にも書いてますけど、絶対役に立たないです。ほんとうに。
細川 そうですよね。でも一見役に立たなさそうな「贅肉」って、じつはすごく大事らしいんですよ。去年、NHKスペシャル『人体』のプロジェクトにかかわったんですが、じつは脂肪が脳をコントロールしていると聞いてびっくりして。
せきしろ そうなんですか。一般的には、逆の印象ですよね。
細川 ですよね。でも、じつは脂肪から、食欲をコントロールするメッセージ物質が出ていて、それが脳に伝わって「これ以上食べない」っていうふうに脳に司令を出している。それはつまり、脂肪……贅肉は、人間の体に不可欠なものだってことなんです。これって何にでもあてはまるような気がするんですよ。
せきしろ わかります。社会生活を送るうえで役に立つものだけが、大事なわけじゃないですからね。
細川 効率性とか生産性の名のもとに、贅肉を削ぎ落としまくると、本末転倒ですごく痩せたものしか生まれなくなってしまう。だから、この『たとえBAR』という番組も、効率性や生産性だけでは語れない、人間や世の中のおもしろさを伝えるための、ひとつの「たとえ」として見てもらいたいんです。
せきしろ 効率とか生産性だけだと、おもしろくないですからね。
後藤さんは、人生を「ビーチボール」にたとえていた
細川 企画が通って番組を「具体的にどうつくろう?」となって、知り合いに相談していたら「それ、せきしろさんに関係あるの?」ってよく言われて。ほんとうに恐縮なんですけど、『たとえる技術』っていう本があるのを知らなかったんです。それで、初めて読ませていただいて。すんごい参考になりました。
せきしろ ありがとうございます。
細川 いわゆる「お勉強の本」じゃなくて、そのまま活用できることがいっぱい載っていて。あとで本のことは、またくわしくお話聞きたいんですけど。この番組企画をすすめているときに、ほかの作家さんからも「あの本のパクリですか?」って言われて(笑)。それで、せきしろさんにもパクリだと思われたら嫌やな、と思って。それでまず「一回お話させていただきたいな」と思ってお会いしたら、力を貸していただけるということになって。
せきしろ 僕はとくに何もしていないんですけどね。
細川 いえいえ、台本のたとえ表現でいろいろな案を出していただきました。「覆水盆に返らず」ということわざを、現代風にアレンジするコーナーでは、「『やっぱり五穀米に変更できますか?』と言ったけど遅い」とか。最終的には、出演者の方々がそれぞれのたとえを考えてもらうんですけど、そのための参考になるたとえを考えていただいて。
せきしろ たとえって、「誰が言うか」も大事で。演者さんが考えて言わないと伝わらないこともありますからね。
細川 そうですね。せきしろさんに書いていただいたことで、出演者の方々も、「絶対にこのおもしろいたとえを超えよう」と自分なりにアレンジしていたと思います。僕はそういうたとえは全然パッと思いつかないのですが、せきしろさんからは湯水のように湧いてきて。すごく助かりました。
せきしろ 僕、自分で書いたものを読み返したりはしないんですけど、自分のものを誰かが作品にしてくれたとか、映画にしてくれたとかは、すごい見ます。「あ、ここ、こういうふうにちゃんとしてくれるんだ」とか、そういうのは全然好きで。この番組も、台本をいただいて見たときから「どういうふうになるんだろう?」っていう、楽しみはすごいあります。
細川 ありがとうございます。開発番組だったので、試行錯誤も多くて。IPPONグランプリのような大喜利番組じゃなくて、実際にありそうなバーで、出演者たちの自然なトークの中で、たとえ話を引き出していくっていう点が結構むずかしかったですね。
せきしろ そうなんですね。
細川 演者の方のたとえでいうと「人生とは何か?」をたとえるのはむずかしそうでした。抽象的すぎるんでしょうね。
せきしろ そうかもしれないですね。
細川 たとえツッコミの名手として知られるフット後藤さんも、正面から「人生とは?」と言われるとたとえづらそうで、苦労されていました。で、本番出してくれたのが「人生はビーチボール」というたとえ。後藤さんの、心の闇を感じさせる、味わい深いたとえです(笑)。
せきしろ 名曲の歌詞に使われているたとえのコーナーとかもあるんですよね。
細川 そうですね。「たとえBAR」のマスターはいきものがかりの水野良樹さんなので、歌の要素を入れない手はないと。今回は、ジュディ・オングさんの『魅せられて』のサビの歌詞に注目しました。
せきしろ 「女は海」っていうところでしたっけ。
細川 はい。水野さんが事前打ち合わせで、「女は海」ってどういう意味なのか、壇蜜さんに聞いてみたいとおっしゃったので、実際やってみたのですが、壇蜜さんの解釈が想像を上回って奥深いものでした。ほかにも、『人気作家のたとえ』というコーナーでは、森見登美彦さんや村上春樹さんの作品に登場するたとえを引用しながら、常連客のみなさんが好き勝手にたとえてくれています。
→次回公開『最初に「たとえ」に気づいたのは、金八先生だった』もお楽しみに!