四月になると渋谷は新しい人たちを迎え始める。新しい学生、新しい社会人が街を歩き、渋谷をまた新しい街に変える。
バーテンダーとしては、こんな時期にこそ、ゆっくりとくつろいだ時間や空間を作ってお客様を待ちたくなる。艶やかな大人のための時間を作ってくれる歌手を考えてみたら、ジュリー・ロンドンを思いついた。
彼女が歌う『エヴリタイム・ウィ・セイ・グッドバイ』という曲がある。「さよならを言うたびに少しだけつらい。どうしてもっと一緒にいさせてくれないのだろう」と歌う曲だ。
私はこの歌を聴くたびに、この歌の主人公は恋する相手とどんな関係なのだろうと考えてしまう。
好きだという気持ちは伝えているのだろうか、愛し合っている仲なのだろうか、考えれば考えるほど謎が深まる歌詞だ。
わかっていることがひとつだけある。この歌の主人公は本当にその相手のことが好きなのだろうということだ。
レコードをターンテーブルの上に置き、針をのせる。
そこに灰色のジャケットに紺色のパンツのソフトな印象の男性が入ってきた。年齢は三十代前半くらいだろうか、背は少し低めで丸顔、神経質そうに見えるが私と目が合うと明るい笑顔を見せた。
私が「お好きな席にどうぞ」と伝えると、しばらく迷って奥から二つ目の席に座り、「ペルノーをロックでください」と注文した。
昔アブサンというリキュールが十九世紀末のフランスの芸術家たちの間で愛飲された。詩人のヴェルレーヌや画家のロートレックやゴッホも愛したそうだ。しかし、ニガヨモギに由来する含有成分が幻覚を引き起こすとされ、フランスでは一九一五年に製造禁止となった。
そのアブサンの代替品として生まれたのがペルノーをはじめとするパスティスだ。そういう経緯からなのか、絵を描く人やフランスにしばらく滞在していた人はこのペルノーを好んで飲む。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。