源頼朝の肖像画としてよく知られたコレ、本当は誰だった?

鎌倉幕府を起こした源頼朝。目元のキリッとした端正な顔立ちを思い浮かべる人も多いだろう。しかし、教科書で見慣れたあの「源頼朝」の肖像画、実は頼朝ではない可能性が高まっており、最近の教科書にはあの肖像画は載っていないのだという。高校で27年にわたり歴史教師をつとめ、テレビでもおなじみの歴史研究家、河合敦先生に「逆転した日本史」を聞いてみた。

世界一受けたい授業で初披露

 初めて私がテレビに出演したのは、二〇〇五年五月のこと。
 しかも、いきなり土曜日夜八時のゴールデン番組だった。いまも人気番組として続いている日本テレビの『世界一受けたい授業』である。
 その五カ月前、番組関係者から「歴史の授業を考えているので、面白い逸話を教えてください」と連絡があり、こころよく応じて偉人たちの話を披露した。

 ところが、それからしばらくして私に出演してほしいと言うではないか!
 すでに著書は出版していたが、当時は都立高校の一教員。バラエティー番組に出ることを教育委員会は認めないだろうし、そもそも堺正章さんやくりぃむしちゅーなど、芸能人を前に授業なんてできるわけがない、そう思って即座に断った。
 ところがスタッフがあきらめてくれず、しばらくごねたものの、最終的に出演を決意したのである。

 初めての授業では、偉人の面白いエピソードを話すことに決まったが、何度目かの打ち合わせのあとで担当ディレクターと雑談しているさい、何気なく私が「教科書の内容も年々変わり、あの有名な源頼朝像も別人の可能性が高くなって、教科書から消えちゃったんです」と言った。
 その瞬間、ディレクターの顔つきが変わり、「先生、ぜひ、それをやりましょう!」と大声を上げたのである。
 かくして「あなたが学校で学んだ歴史はもう古い」 というテーマで、近年、教科書から消えた内容をテレビで話したところ、大反響となった。

 この日以来、私の人生は変わってしまった。ときどき好きな本を書きながら定年まで教員をつとめあげるつもりでいたが、執筆や講演の仕事が急増し、ついに退職せざるを得なくなり、いまは大学の客員教授の肩書きで本を書いたり、講演をしたりして生計を立てている。
 だから私にとって源頼朝の肖像画は、非常に思い出深いものなのである。

 ご存じのように源頼朝は、初めて武家政権を創設した武士。
 頼朝と聞くと、四十代以上の人は、目元のきりっとした端正な顔立ちを思い浮かべるはず。
 それは間違いなく、京都神護寺の「源頼朝像」である。
 なぜなら昔の教科書には、この像が掲載されていたから。

 しかし、その肖像はだんだんフェードアウトしていく。
 私が新米教師だった三十年前の教科書には掲載されていたが、一九九九年の教科書を見ると「伝源頼朝像」(『詳説日本史』山川出版社)となっている。「この肖像画は源頼朝と伝えられている」という意味だ。
 そしてわずか三年後、同じ教科書から頼朝の肖像は消えた。
 この神護寺の肖像が、頼朝本人かどうか怪しくなったからである。

源頼朝像は、室町幕府をつくった足利尊氏の弟、直義だった!?

 その流れを決定付けたのは、美術史家の米倉迪夫氏である。
 その著書『源頼朝像 沈黙の肖像画』(平凡社 一九九五年)で米倉氏は「源頼朝像は頼朝を描いたものではなく室町幕府をつくった足利尊氏の弟・直義(ただよし)を描いたものである」という衝撃的な新説を発表したのだ。
 じつはそれ以前から肖像の冠や簪(かんざし)の形から、鎌倉後期から南北朝時代に作製されたとする説があったが、なぜか真剣に討議されなかった。
 だが米倉氏が自説を発表すると、美術史学会や歴史学会は大きく反応し、反論や賛同が相次ぎ、大論争に発展した。
 米倉氏は、頼朝像の眼や口、耳など顔のパーツの描き方に着目し、 無等周位(むとうしゅうい)が描いた夢窓疎石(むそうそせき)像(妙智院蔵)との類似点を指摘、疎石像が十四世紀の絵画であることから源頼朝像も同じころの作品だと断じたのである。
 そのうえで米倉氏は、一三四五年の「足利直義願文(がんもん)」(京都御所の東山御文庫所蔵)に、神護寺に「征夷将軍(足利尊氏)ならびに予(足利直義)の影像を図き、以てこれを安置す」とあり、そのとき奉納した直義の肖像こそ、これまで頼朝像とされてきたものと論じたのである。

 確かに頼朝像の画中には、像主(モデルの人物)の名は記載されておらず、当人を描いたことを確実に証明できない。
 なのに頼朝の肖像とされてきたのは、『神護寺略記』(十四世紀半ばの書)に「神護寺に藤原隆信が描いた頼朝や平重盛、藤原光能(みつよし)の肖像が存在する」 と記された箇所があり、江戸時代になって、頼朝像を含む三つの肖像画がそれらに該当すると考えられるようになったからである。
 では本当の頼朝は、どのような姿をしていたのだろうか。

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逆転した日本史

河合敦

いつの間にか学校で習った歴史の「常識」が変わっていた!? いまの歴史教科書では「鎌倉幕府の成立はイイクニ(1192年)」ではなくなり、「生類憐みの令」を出した将軍綱吉は「名君」として教えられている。「鎖国」や「士農工商の身分制度」など...もっと読む

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コメント

snowmoon_sakura @DChibetan どぞ~ https://t.co/QjfnP8CMHz 4ヶ月前 replyretweetfavorite

SuiAshe @pixselP 検索するといっぱい出てきますけど、今まで頼朝だと教えられてきたあの顔は別人の可能性が高いんだそうですww https://t.co/IeIMS38qoC https://t.co/4lM10R43yg 5ヶ月前 replyretweetfavorite

masakazuhenmi @tanakao 有名なのはコレあたりです。 https://t.co/yOkLl97rm2 5ヶ月前 replyretweetfavorite

Tayori_chan 検索してみた。 それにしてもイケメンだわ〜。 6ヶ月前 replyretweetfavorite