「言ったもん勝ち」の企画会議で何も言えずに帰ることも
コギャルと脚本家修業。
最高に楽しい学生生活だったのですが、就職活動の時期は迫ってきます。
そうは言っても、就職活動なんて、全然やる気がない。超氷河期だし、親の手前、なんとなくやっているだけですから、どこにも受からない。 最終的に、カメラや映像関係の技法書で知られる玄光社という出版社に、営業事務職として入社しました。読書好きだったり、シナリオの勉強をしたりしていたのが、功を奏したのかもしれません。
雑誌や書籍の在庫管理も担当していたので、売れ行きの悪い本は「はい、これ断裁、これ断裁」って事務的に処理をしていました。今でも、自分の本が売れないと、「ああやって断裁されちゃうんだろうなあ」と想像してしまいます(笑)
人生の中で一番本を読んだのは、この頃でした。綾辻行人さんや有栖川有栖さんなどの新本格、鈴木光司さんや貴志祐介さん、篠田節子さんなど、当時人気があったミステリやホラーなどのエンタテインメント小説は、毎週のように書店で買いこんで読み漁っていました。
シナリオセンターの作家集団として登録されていたので、テレビ局から時々オーダーが入るようになりました。といっても、私に「こういうものを書いてください」と言われるのではなく、テレビ局のドラマ企画会議に何人も呼ばれる中の1人。企画会議に行くと、アイデアや意見を言わなきゃいけないんです。
正直、言ったもん勝ち。
まわりは年上の手練れのOLばかりで、あからさまに
「あなた、まだ20歳なの?」
と鼻で笑われるようなこともありました。私は一対一の関係や少人数のグループだと大丈夫なのですが、人見知りだし、そういう場がどうしても苦手で、何も言えずに帰ることもよくありました。
がんがんいける人が採用されていくのを目の当たりにして、物語を書くのは大好きなのに、一歩突き抜けられないという悩みを抱えるようになっていました。
そんな自分を変えたかった。
単純なんですけど、「よし、じゃあ、留学しよう」って。
そして、アメリカ合衆国西部のサンディエゴに向かったんです。
メキシコと接しているサンディエゴは、気候も良くて開放的な場所。親元から解放された喜びで、勉強もせずに遊びまくっていました。「自分探し」というと、海外留学を考える女性も多いですけど、実際、外国で生活したぐらいで自分の性格なんて変わらないですよね(笑)
当初は半年の予定だったのですが、現地のカレッジに通う日本人の彼氏もできたので、資金が尽きてVISAが切れるまで、結局1年程アメリカにいました。
東映のプロデューサーとの出会いと訓練の日々
やや迷走気味の私でしたが、この頃、私の「警察小説家」としての土台を作ることになる人との出会いもありました。
それは、当時、東映のアシスタントプロデューサーだった土田真通さんでした。
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