「小説家」誕生の瞬間
吉川英梨様
前略
先日、第3回日本ラブストーリー大賞の副賞選考会が行われまして、
貴殿のご応募作が、以下の副賞を受賞いたしましたのでご連絡いたします。
【賞名】 第3回日本ラブストーリー大賞 エイベックス・エンタテインメント賞受賞(※)
【賞金】 100万円
【作品名】 私の結婚に関する予言「38」
【筆名】 吉川英梨
つきましては、いくつか確認&お願いしたいことがございます。
取り急ぎご確認いただけますよう、よろしくお願いいたします。
早々 (後略)
(※)スポンサーの変更により、のちに「エンタテインメント特別賞」へと変更となる。
このメールを見た瞬間、私は思わず「やった!」と叫びました。当時、飼っていたフェレットを担ぎ上げてしまったほどです。
この賞の選考過程は、メールで届きます。第一次選考通過、第二次選考通過……これまでもコンテストで最終選考まで残ったことがあるので、そのあたりまでは予想はしていました。
けれど、さすがに最終選考を勝ち抜いたという知らせがきたときには、想像以上の喜びがありました。 それは「本が出せる」とか「賞金がもらえる」とかではありませんでした。
ただ、自分の書いた物語がようやく「認められたんだ」という思いでした——。
「大学デビュー」のコギャル時代は毎日合コン生活
小説家への一歩を踏み出すことになる賞をいただく13年前、私はとある短期大学の日本文化学科に通う女子大生でした。
恥ずかしながら、当時の言葉で言うと「コギャル」。
埼玉の田舎で生まれ育ち、真面目で地味な中学・高校生活を送ってきた読書好きの私は、「大学デビュー」という言葉通り、大学に入学してから遊びまわるようになりました。
ちょっとハデなファッションで街に出ると、すぐナンパされる。東大、早稲田大、明治大など一流大学の学生から社会人までをお相手に、毎日が合コン。すぐに彼氏ができたのですが、それもとっかえひっかえでした。
就職活動のときも、アルバイト先の仲間たちと盛り上がり、朝まで飲んで、二日酔いで面接に行くこともありました。酔っ払ったまま、肝試しに行き、大騒ぎして通報され、パトカーに追いかけられたことも……。
あまり男の子に相手にされなかった地味だった私が、ちやほやされるようになって、自分の価値が上がったような気持ちになっていたのでしょうね。 振り返ると「何やってんだか……」と思いますが、当時はもう人生なめてるのかってぐらいに遊んでいました。
コギャルと脚本家修業、2足のわらじを履く
そんな私でしたが、実は、本気で目指している職業がありました。
それは、「脚本家」です。
高校時代は成績が良くて、学校の先生からも両親からも四年制の大学への進学を勧められましたが、私は勉強をするよりも早く脚本家として働きたかった。両親には何日も「四年制の大学に行きなさい」と説得されたのですが、それも振り切って、短大という道を選んでいました。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。