自己責任」のアメリカが教えるシビアな終活プラン

大口病院での看護師による連続殺人事件をきっかけに、「高齢者延命治療」についての議論が盛り上がっています。アメリカにおける延命治療の現状や、自身が体験した身内の高齢者治療を通して、若く健康なうちに終活プランを準備する重要性をアメリカ在住の作家・渡辺由佳里さんが語ります。

「延命治療」の方針について当事者以外の意見はすべて「推論」である

日本では、大口病院での看護師による連続殺人事件をきっかけに、ネットで「高齢者延命治療」についての議論が盛り上がっているようだ。

病院で実際に高齢者延命治療の残酷な現実に対応している看護師の「私も一歩間違えば大口病院で事件を起こしたナースと同じだったかもしれない」から始まる連続ツイートや、それに対する「個々人の主義や事情を無視して、単に見た目が苦しそうだからとか、自分なら死にたいと思うからという理由で不幸であると断言するのは傲慢」といった反論まで、ネットに飛び交っている多くの意見を目にした。

私は助産師として大学病院に勤務していたことがあり、高齢者専門の病院で夜勤のアルバイトをしたこともある。人の誕生だけでなく、死にも何度か立ち会った。

その体験を含めて言わせてもらうと、どの意見にも一部の理はある。だが、どれかが絶対に正しいということもない。

なぜなら、高齢者に限らなくても「延命治療」や「死」は、すべてのケースがユニークであり、当事者がそのときになってみないと何が一番良いことなのかわからないからだ。しかし、たいていの場合、「そのとき」になると、当事者が意思を伝えることができなくなっている。そこで、第三者が当事者の意思を勝手に推察して代弁することになる。

どんな状況でもなるべく長く生き続けたい人もいるし、QOLが低くなって生きている楽しみがなくなったら延命治療をやめてほしいと願う人もいる。友人の母親が70代後半で喉頭がんに罹患したとき、5年生存率は50%ほどあったにもかかわらず、「私は良い人生を送った。治療はしない」と治療を断った。つまり、どんなに正しそうな意見であっても、個々のケースでは、当事者でない人の意見は「推論」にすぎないのだ。

結婚前に「延命治療」の方針について確認するアメリカの事情

しかし、ネットに飛び交う意見を読んでいると、この事実に気づいている人はそう多くない。その理由を考えていてふと思ったのは「日本人はまだ『延命治療』や『死』そのものを他人事として考えられる余裕がある」ということだった。つまり、まだまだ「〜であるべき」と正論を言えるほど社会保障を信じ、家族や子供を頼りにしているのだ。

かくいう私も、かつては「健康は人権のひとつ」であり「すべての人に医療を受ける権利がある」と思っていた。だから、自分が病気になったり、死に直面したりした場合の対応について考えたこともなかった。漠然と、誰かが何かをしてくれるだろうと思っていた。

私が死について考えざるを得なくなったのは、アメリカ人と結婚したときだった。

当時は私も現在の夫も東京に住んでいたのだが、夫の母親のたっての希望で結婚式はアメリカで行なった。ニューヨークJFK空港で私たちを待ち受けていたのは、結婚式前の過密スケジュールだった。そのスケジュールを作成した夫の母親が真っ先に連れて行ったのが弁護士とのミーティングだった。

アメリカでは、将来あり得るかもしれない離婚に備えて夫婦の共有財産の範疇を決める婚前契約「プリナップ」が普及している。でも、弁護士と話し合って法的な書類を作るのは財産のことだけではなかった。本人が病気や事故で意識不明になっていて意思決定ができないときの心肺蘇生をどうするのか、また本人に代わって意思決定をするのは誰なのかも法的な書類にしておくのである。

これは日本で育った私にとってけっこう大きなカルチャーショックだった。

渡米寸前まで結婚式とハネムーンの休暇を取るために猛烈に働き、エコノミークラスの狭いシートに長時間詰め込まれた後の朦朧とした状態で「Health care proxy(健康に関する代理人)」とか「 Power of Attorney(日本では『委任状』と訳されることが多いが、ここでは代理権を有する者のこと)」という聞き慣れない単語だらけの説明を聞き、よく理解できないままに意思決定をして書類にサインをした。

あのまま交通事故とか病気で自分が意思表現をできない状況になっていたら、「いや、あのときにはちゃんと理解していなかったので、それはしないでください!」と心の中で叫んでいたかもしれない。でも、それでは手遅れだ。

今振り返るとけっこうゾッとする話だが、日本のネットで熱論を交わしている人たちも、自分自身の「延命治療」や「死」についての認識は、28年前にカルチャーショックを受けた私とそう変わらないのではないだろうか。

他人の延命治療に対して強い意見を持っていても、自分のことになると、どうしてほしいのかを決めていないし、誰にも伝えていない。国民の負担額を上げるのは反対だが、高齢者が最後まで心地よく生きられるケアと治療を与えるべきだと主張する。自分では何の対策も立てていないのに、いざとなったら、国や病院や家族が自分にとって最も良い方法を施してくれるべきだと期待している。

こんな甘い期待を抱いたまま生き続けることができるのは、日本の社会保障が現時点ではまだアメリカよりもずっと恵まれているからだ。

アメリカの老後医療の悲痛な現実
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アメリカはいつも夢見ている

渡辺由佳里

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コメント

gattoliberoTW 「 自己責任」のアメリカが教えるシビアな終活プラン https://t.co/abe0wbl3GC 3ヶ月前 replyretweetfavorite

r34CXRsvHnOj2GB ごもっとも。 でもね、我々は杉田水脈を否定する人たちから人間であることを否定されているのですよ。 4ヶ月前 replyretweetfavorite

paravola (身ぐるみ剥がれてすってんてんになってるかもしれないけど)現時点では日本の社会保障はまだ優れている。しかし、少子化が進んでいるので、今後は国からも 4ヶ月前 replyretweetfavorite

uubsato 勉強になるなあ。 4ヶ月前 replyretweetfavorite