長い時間を経て、増築に増築を重ねて巨大迷路のようになった老舗旅館の中を、ぶらぶらとさ迷い歩くのは愉悦だ。まさか小説を読みながら、同じような気分が味わえるとは。
倉数茂さんの新作『名もなき王国』の主人公は、三作を発表するも無名の小説家。あるとき出会った澤田瞬なる人物と交流するうち、彼の伯母が、以前から敬愛する幻想小説家・沢渡晶だったと判明する。瞬の半生と伯母の思い出、それに沢渡晶の作品が入り混じり語られ、一冊が構成されていく。
語り方へのこだわりが生みだす、複雑な味わい
時空を行き交い、いくつものテキストが同居し、作中作がいくつも挿入される。なんとも複雑な構成を持つ小説だ。凝りに凝った、美しき拵えものといった趣。
語りがストレートに進んで、「ページをめくる手が止まらない」とのうたい文句が流行る昨今に、なぜこうしたつくり込んだ作品をものしたのか。倉数さん本人は、とくに複雑さを意図していたわけではないという。
「最初はさほど長くない幻想的な話をいくつか書いたんです。自分でけっこう楽しみながら。編集者に見せるとおもしろく読んでもらえたのですが、短編を単に並べるだけだと読者へのアピールに乏しい、何か枠組みをつくれないものかと相談されました。
ならば、これらの短編を書いた架空の作家を想定しよう。と、幻想文学を手がける沢渡晶のイメージが浮かんできました。
それでも最初は、見出された沢渡晶の作品を順に並べるシンプルな話でした。ですが書いているうちにどんどん新しい要素を思いついてしまい、それを入れ込むにはどんな枠組みをつくればいいか考え、また新しくアイデアを思いつき、また構造を考え……。ということを繰り返し、どんでん返しも浮かんできたりして、いつしか増築を重ねた建築のような作品になっていました。
当初のシンプルな構成のものにするより、数倍の労力がかかった気がしますね」
物語の「語り方」には、もともとこだわりのあるほうだった?
「けっこう気にするほうですね。これは世代的な面があるかもしれない。高校〜大学時代は1980年代で、高橋源一郎とかホルヘ・ルイス・ボルヘス、フィリップ・k・ディックなんかのポストモダンでメタフィクション的な小説に夢中になった。単純にストーリーを語るんじゃなくて、虚構というものをどうやってつくっていくかに関心が向かいましたね。
このごろはそういう凝ったものよりも、シンプルな味わいが受けているのかもしれませんが、いろんな読み方ができる複雑な味わいの小説が好きな人も、きっといるだろうと思うんです」
「過去の文学とともに書いていく」
彼女が煙草を喫むことを知ったとき、長兄の清之助はひどく渋い顔をした。「おまえまで太陽族になったつもりなのか、こんなことなら大学になどやるのではなかった。」とまで云った。
(『名もなき王国』)
『名もなき王国』の美点は、それほどに複雑な構成なのにもかかわらず、読みやすさがキープされているところ。
「作品の中にいろんな小説が盛り込んであるので、文体もつど変化させていかなければいけませんでした。書き分けがどれくらいできているかどうかは読む側に委ねるしかありませんが、苦心して『らしさ』を出したつもりです。
たとえば作中に埋め込まれている『燃える森』という作品は、1960年代前半に書かれた設定。昭和的な文体をどうやったら出せるか悩みました。これがなかなか難しくて。いっそ明治時代くらいなら違いも出しやすいんですが、昭和だと微妙な感触の違いを表さないといけない。
やってみてわかったのは、現在の文体のほうがかなり話し言葉寄りになっていること。昭和の文体は今と比べると文章語っぽいですね。そういうことを確認しながら、調整していきました」
ひとつの作品の中に、タイプの異なるたくさんの小説が埋め込まれていて、一粒で二度どころか、三度も四度もおいしいのが『名もなき王国』。作中作の完成度は極めて高いのだが、それぞれを読んでいるとふと、何かを思い出す感触がある。すでに古典と呼ばれるような作品の読み味がよぎるような気がするのだ。『名もなき王国』の背後に、膨大な文学の遺産と系譜を感じるのはなぜだろう。
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