実は鎌倉幕府成立の年に定説はまだない
「みなさん、鎌倉幕府の成立は、いまの教科書では一一九二年ではなく一一八五年に変わっています。イイクニつくろうではなくて、イイハコつくろうなんですよ!」
たまたまテレビのチャンネルを回したら、ちょうどある歴史学者がバラエティ番組で得意げに芸能人に語っていた。
それを聞いた芸能人たちは「えーっ」と大げさに驚いた。
一緒にテレビを見ていた妻が「またやってるね」といい、私はそれを聞いて苦笑いした。
何度このフレーズをパクられたことだろう。
日本で最初に鎌倉幕府の成立が「イイハコ(一一八五)」に変わりつつあるとバラエティ番組で話したのはこの私だ。
いまから十四年 前、日本テレビの『世界一受けたい授業』の収録でのことだ。
ただ、相当なインパクトがあったのだろう、このネタは毎年のようにテレビやラジオで語られ続けている。
でも、はっきりいってこの話、ウソなのである。
武家政権としての鎌倉幕府が成立した年については、現在も定説なんてないのだ。
一一八五年は源頼朝が平氏を倒し、家臣を守護・地頭として全国に配置する権利を朝廷から獲得したり、兵糧米を徴収できるようになったから、武家政権が成立した年として有力であることは確か。
けれど、まだ決まったわけではない。
それは、日本史の教科書をきちんと読んでみればすぐわかる。いまでもすべての教科書に一一九二年説が掲載されているからだ。
「一一八五年は実質的な武家政権の誕生、一一九二年は源頼朝が征夷大将軍になったことで、名実ともに鎌倉幕府が成立した年」
そんなふうに二段階に書いてあるのだ。
また、東京書籍の教科書『新選日本史B』(二〇一七年)では「鎌倉幕府の成立時期」というコラムをもうけて、六つの幕府成立説を取り上げ、まだ一一八五年説が定説でないことを暗に示している。
ちなみに幕府の成立年については、個人的な思い入れがある。
私は青山学院大学文学部史学科に入ったが、大学一年生のとき「史学概論」という歴史学に関する必修科目を受けた。
このときの担当が中世史の大家で名誉教授の貫達人先生だった。
貫先生は言った。
「鎌倉幕府の創立は、一二二一年と覚えなさい」
その言葉に驚いたが、言われてみれば納得だ。
この年、西国を支配する朝廷の後鳥羽上皇が挙兵して幕府に敗れ、幕府は西国にも勢力をのばし、名実ともに全国政権となったからだ。
でもそうなると、幕府をつくったのは源頼朝ではなくなってしまう。
なぜなら頼朝は一一九九年に死んでしまっているからだ。
まるで笑い話だ。
そんな貫先生の授業で、いまも忘れられない講義がある。
イケメンでモテモテの平貞文という平安貴族がいた。
そんな彼にも本院侍従と呼ばれる女性はなびかなかった。
彼女も絶世の美女だった。
何度もアタックしたが相手にされない。
そこで、あきらめるために貞文がとった行動が彼女の箱を奪うことだった。
樋箱という携帯トイレである。
当時の貴族女性は便意をもよおすと、屏風などをひきまわし、侍女に樋箱を持ってこさせ、そこで用を足していた。
貞文は「樋箱の中のモノを見れば、さすがにいくら惚れた女でも嫌いになれるだろう」と考えたのだ。そして侍女から箱を奪い取り、そっと中を開けてみた。
「いい匂いがした」という。
箱の中の液体を飲み、浮いている物体を食べてみた。するとなんと、おいしく感じたのである。
じつはこれ、本院侍従があらかじめこうしたことを予測し、食材を使って尿や排泄物をつくっておいたのだという。
そこまで話したとき、急に貫先生が私に向かって質問した。
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