芥川賞は失敗だった?—阿部和重インタビュー 3/5

芥川賞を受賞した『グランド・フィナーレ』を書いたのは「失敗」だった? 衝撃の発言が飛び交う、評論家佐々木敦さんによる『ピストルズ』文庫化記念インタビュー第3回目。全5回のインタビューの中間地点にあたる今回では、阿部和重が『ピストルズ』を軸に自身の作風について語るとともに、代表作と呼ばれる『グランド・フィナーレ』に抱く思いを明らかにします。次回のインタビューは、6/25(火)に公開予定です!

『ピストルズ』の挑戦

佐々木 『ピストルズ』は一種の幻想小説のようなスタイルを取っていると同時に、舞台が神町であるにもかかわらず、アメリカのサブカルチャーに関していろんな形で言及されている小説ですが、『シンセミア』の次にああいうタイプの小説を書いたのは、どういう理由からなんですか。

阿部 さっきの「全部の顔が違ってるような三部作」という話をよりイメージしやすい例を映画で言うと「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズ。あの三部作って、それぞれ全然違ってますね。第一作は五〇年代に帰る。過去ですね。パート2では未来に行く。そしてもう一度五〇年代に帰り、最後には西部劇の時代、十九世紀に行っちゃう。第三部はそのまま西部劇の物語が語られるという、この三つの顔を持っているけれども、まったく同じシチュエーションが繰り返されるだけのハリウッド映画である「バック・トゥ・ザ・フューチャー」三部作にぼくは強い影響を受けて、モデルとしてはこれだなと思っていたんです。
 それとは別に、実は『ピストルズ』というのは、三部作という企画を超えて、ああいうタイプの全面的にコントロールが行き届いた作品—ぼくは小説家になったので結局、小説という形になりましたけど、ずっと以前から、徹底してコンセプチュアルな作品をいつか物にしてみたいと、素朴に夢見ていた。あの作品にまつわるさまざまな表現上の試みはずっと頭の中にあったもので、最終的な本の形まで、夢のようなものとして抱きつづけてきたところがあるんです。
 具体的に参照されたカルチャーというのは、必ずしもアメリカ文化だけに限らず、六〇年代から七〇年代にかけての、サイケデリックと分類される種類のサブカルチャーです。カウンター・カルチャーとかフラワー・ムーブメントと呼ばれる時流の中で生まれた、それにまつわる様々な音楽や映画、当時の文化的スターの言動、等々を参照して、単にそれを物語の中に移植するだけではなく、一読してもそうと気づかれないようなレベルで組み込んでいく。そういう統一性を持った緻密なタペストリー的作品を組み立てたいという年来の創作的野心が、『ピストルズ』を書く最大の動機だったんです。
 言ってみれば『シンセミア』は終戦を迎えた一九四五年から一九五五年ぐらいにかけての占領期と、二〇〇〇年当時の現在をつなぎ合わせることでできている。『ピストルズ』はそれ以降の六〇年代、七〇年代という戦後史を扱うという必然性もあった。だからこそ、自分がもともとやりたかった、三部作と別に考えていた表現上の試みにここでがっつり取り組めるなと考えて、全面展開させてみたわけです。

佐々木 サブカルチャー、別の言い方ではニューエイジ、ヒッピーイズムなど、まさに六〇年代から七〇年代前半ぐらいにかけてのカルチャーの要素がいろいろな形で膨大に織り込まれていますよね。もともと阿部さんは、そういったものに対するディープな関心を持ってたということなんですか? 

阿部 ぼく自身が生まれたのが六八年で、その周辺のカルチャーによくも悪くも非常に影響を受けてきた。十代、二十代といろんな文化に触れてきた中で、六八年的なものの支配を最も強く感じながらすごしてきたわけです。これをいつか総括せねばという考えがありました。
 その文脈で『ピストルズ』をとらえると、あの物語は、デビュー作の『アメリカの夜』の反転になっているわけです。そして『アメリカの夜』もまた、まさに六八年的な問題が作品の核に据えられている。『アメリカの夜』の主人公は、「特別な自分」というものを想定しますが、実際には「普通の人」にすぎない。あれはつまり「特別な存在に憧れるただの人」の物語だったわけですね。

佐々木 いわゆる「凡庸」の問題ですね。

阿部 はい。周知の通り、蓮實重彦さんの『凡庸な芸術家の肖像』が、『アメリカの夜』の元ネタなわけですが、あの本から受けた大きな刺激と影響を、自分自身の問題ととらえて、それを物語化するというのが狙いの中心にありました。そしてそのなかに、六八年周辺の記号をいろいろとちりばめているわけです。対して、似たような形式性をさらに発展させて組み立てた『ピストルズ』は、「特別な存在」そのものの物語なんですね。というわけで、自分なりにはここでひとつの円環が閉じたことになっているんです。

佐々木 まさにそうですね。

プリンス、デヴィッド・ボウイ、阿部和重

阿部 さらに、これまで自分が影響を受けてきたさまざまな創作家たちの作品歴を見てみると、どうも自分は一作ごとに作風を変えるタイプの人々に惹かれるところがある。自分自身もそれに向いてるというか、それに近い発想をしやすいというか。影響が先なのか、自分自身にそういうところがあるのか、どっちが先なのか……。

佐々木 もともと持ってた資質なのか。

阿部 わからないですが、たとえばミュージシャンで言うと、プリンスという人は一作ごとに大きく作風を変えるタイプと見なされている。アルバム内容はもちろんライブでもバンドを恐ろしいくらいにコントロールするところがあって、一時期はイノベーションの追求に命を懸けていた。最近復活したデヴィッド・ボウイも、そういうタイプの代表格ですね。ぼくはこれまで、とりわけその種の創作家たちに強く惹かれてきたわけですが、彼らの辿った道筋を歩むことが、そのまま作家としての自分の理想になるのも、ごく自然ななりゆきだったのだと思います。

佐々木 プリンス、デヴィッド・ボウイと名前を挙げられると、すごく納得する。阿部和重との共通点は、「コントロールマニアにして変節漢」ということ (笑)。異様に緻密にコントロールするのに、完成するとまったく違うものに向かっていく。そのあたりがすごく似てると思うんですよね。

阿部 また、実は九九年ぐらいの「群像」に載った東浩紀との対談で、いずれ『北斗の拳』みたいな小説を書きたいと発言したんですが、その後に三部作の全体像を組み立てていく中で、第二部の物語を考えているときに、以前対談で言及した『北斗の拳』的な話がぴったりここに収まるぞと気づいて……そんなわけで、『ピストルズ』というのは課題があまりにも多すぎて、月刊連載ということもあり、書き上げるのにとにかく難儀したんです。
 しかもぼく、いろんな三部作の中で、たいていパート2が一番好きなんですよね。「スター・ウォーズ」でもそうだし。

佐々木 それはけっこう変わってるよね。たいていパート1がいいとか、最終作がいいとか言うじゃないですか。

阿部 ぼくの場合は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」もパート2がいいし、みたいな感じで、とにかくいろんな三部作を見たけど、やっぱり2が一番好きなんですよ。2へのこだわりみたいな。

佐々木 パート2こそ気合を入れなければならないということですね。

『グランド・フィナーレ』の「大失敗」

佐々木 もう一つ、神町サーガのスピンアウトとして、阿部さんに芥川賞をもたらした『グランド・フィナーレ』がありますね。『グランド・フィナーレ』も『ニッポニアニッポン』と同様に、全体の構想の中で書いておかなければならない作品だったのでしょうか?

阿部 まったくそのとおりなんですけども、ここでどうしても一つ言っとかなきゃいけないのは、ほんとにあれは書くべきじゃなかったということなんです(笑)。

佐々木 書くべき小説じゃなかったのを、なんで書いちゃったんですか(笑)?

阿部 トリロジーを中心とした一連の「神町もの」の世界像を組み立てる上では不可欠なパーツだったんです。その意味では必要性があったし、意義もあった。でも、このご時世に作家商売を営んでいく上では、あの小説は書くべきじゃなかった。あれで芥川賞を取っちゃったことが、作家阿部和重にとっての最大の失敗です。なぜなら結果的に、世間的にはあれがぼくの名刺になっちゃったんですよね。

佐々木 まあ、代表作と言われるものにね。

阿部 そうなんですよ。読者が何かのきっかけで阿部和重を知ってくれてはじめに読む小説が、『グランド・フィナーレ』なんですよ。それで、もうそれからは読んでくれなくなっちゃう(笑)。

佐々木 題材が題材ですからね……

阿部 題材も題材だし、話も終わってないし……

佐々木 今思えば書くべきじゃなかったとまでご本人が言うような小説で、芥川賞を取るというのが、まさに阿部和重ですよね(笑)。

阿部 悲しいことですけど。

☆次回は6/25(火)公開です。

コルク

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ピストルズ』文庫化記念 阿部和重インタビュー 

佐々木敦 /阿部和重

『ピストルズ』の文庫化を記念して、評論家の佐々木敦が阿部和重へのインタビューを行いました。 講談社の月刊文庫情報誌『IN★POCKET』に掲載されたインタビューを、cakesでは全文公開! 自身の小説について語る阿部和重の言葉を、...もっと読む

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