読書界全体の雰囲気が変わってきている—阿部和重インタビュー 2/5

評論家佐々木敦さんによる『ピストルズ』文庫化記念インタビュー、第2回目。3つの作品を使って、ひとつの世界と歴史を紡ぐ「神町サーガ」。三部作構成に込められた意味とは何なのか? また、インタビューの後半では阿部和重の執筆スタイルを確立させた『ニッポニアニッポン』についても詳しく語られます。

■10年後の『シンセミア』

佐々木 文庫版『シンセミア』の解説を池上冬樹さんが書いていることに、ちょっと意表を突かれました。池上さんは山形在住だけれど、それだけでなく、『シンセミア』を、従来の論じられ方とは違う照明の当て方をしようということなのかなと思ったんです。  
 じっさい池上さんの解説はすごく面白い。阿部さんは文学とエンタメという区分けで言えば文学の人とされてきたわけで、その文脈の中で『シンセミア』も読まれてきた。池上さんはそういった枠組みを取り払って、ミステリーやノワール、あるいは映画との接続の中でとらえ直すということをなさっている。今から思うと、出版当時の『シンセミア』の読者の大半の感覚も、むしろ池上さんの読み方のほうが近かったんじゃないかと思うんだけれども、そういう受け止め方は、 文学の側にはあまりなかった。
 だから、刊行から十年を経て改めて文庫化されることで、今度こそ『シンセミア』の読まれ方は変わるような気がするんです。でもそれは、二〇〇三年に単行本が刊行された時から内在していた一面でもある。そのへんの変化に関して、阿部さん自身はどう思ってるんですか。

阿部 ぼく自身は、そもそもそのへんの区切りを自分にはあまり設けてないので、自分自身が何か変化した、この作品の位置づけが自分の中で変わったということはまったくないんです。ただ、読書界全体の雰囲気が変わってきているんじゃないかなと思って……。

佐々木 まさにそうだと思います。

阿部 そのようにボーダーレスにとらえられる作品、作家たちが目立ってきてるというのが、この十年の状況ではないか。桐野夏生さんや伊坂幸太郎さんの作品はずっとそのように読まれてるし、舞城王太郎さんなどのいわゆるファウスト系の作家たちも、古川日出男さんもそうだし。文学のジャンル、垣根を超えて読まれる作品が増えてきたので、そういう中で改めて『シンセミア』を位置づけて読んでいただければという気持ちはありますね。

佐々木 『シンセミア』の連載開始は、二十世紀の終わりであったわけですよね。その後、いわゆるゼロ年代と呼ばれるディケードがあって、いま名前が挙がったような作家の方々は、もちろんそれ以前から活動してた方も多いですけど、ボーダーレス感が如実になってきたのはゼロ年代だったと思うんです。そういった人たちの作品のあり方と、九九年には書き始められていた『シンセミア』という小説が、同じ時代の小説として読まれ得るというのは、この十年を経たからこそ生じたことだと思うんです。だから今回、改めて文庫になるというのはすごくいいことで、新しい読者を獲得することになると思う。

なぜトリロジー(三部作)か

佐々木 「神町トリロジー」が三部作構成になるということは、最初から決めていたんですよね。そもそも、どうして「三部作」なんですか。

阿部 それも結局は、映画からの発想なんだろうなと思います。

佐々木 映画では有名な三部作がいくつもありますからね。

阿部 最初に自分の中ではっきりと意識していた三部作は「スター・ウォーズ」旧三部作です。その後また新三部作が出ましたけど、あれも物語の形式としてはサーガと言われるぐらいの長大なメロドラマ、ヒストリーが語られている。監督のジョージ・ルーカスは、自分の頭に浮かんだ広大な世界像そのものをまるごと作中に閉じ込めて形にしようという野心でもって、あの三部作を構想したんだろうなと感じたんです。そういう、三つの作品で一つの歴史と世界を物語るという発想が自分にとってなじみやすい、作家として挑んでみたい試みのひとつだったんですね。
 さらに、土地と歴史の物語を単に三段階に分けて物語るのではなく、三つの顔を持ってるような三部作として組み立てたいと考えたんです。『シンセミア』と『ピストルズ』を読み比べていただければ、おそらく皆さんそう感じてくださるのではないかと思うんですけど、全然違った顔を持ってるように書かれているはずなんです。構造、表現形式、等々、いろんな違いが見えてくるはずで、作家としての技量の幅みたいなものを、その三つの長編で示すことができればと考えたところもあります。

佐々木 では、まず三部作という発想があったと。しかもその三部作というのは、それぞれがまったく違った顔を持っている、言い方を変えれば、小説として違うタイプのものであるということが最初にあったと。阿部さんは、もともと文体も形式も毎回変えることを自分に課している人なので、その発想はすごく納得しますね。

『ニッポニアニッポン』の意義

佐々木 ところで、『シンセミア』の連載中に、『ニッポニアニッポン』を執筆されていますね。どうして長編連載中のあのタイミングで書かなければいけなかったのでしょうか?


『IP/NN 阿部和重傑作集』
『インディヴィジュアル・プロジェクション』と『ニッポニアニッポン』を収録

阿部 あの時は、文字通り体にガタがくるくらいきつかったです(笑)。『ニッポニアニッポン』は、『シンセミア』の連載を始める前に構想していたというわけではないんです。『シンセミア』を書きながら、二部、三部の流れを同時に組み立てていったのですが、その中で、三部作として組み立てられる物語の外部に、小さな物語として思い浮かんだものなんです。ちょうど同時期に、トキをめぐるニュースをたまたま見かけたことから着想を得たわけですが、いずれにせよ、全体の企画の性格上、二部、三部が出る前にあらかじめ世に出しておかなければならなかった。言ってみればスピンオフみたいなものですよね。

佐々木 『ニッポニアニッポン』は、今から振り返ると、かなり早い段階でインターネットをフルに駆使して書かれた小説だと思います。ネット時代の情報小説ですよね。その時の、ネットを調べまくって書いたという経験は、『シンセミア』に続く『ピストルズ』にはかなり生かされているのではないでしょうか。『シンセミア』と『ピストルズ』は、おっしゃったようにずいぶん違ったタイプの小説です。『シンセミア』を終わって、第二部の『ピストルズ』に着手しようというときには、ずいぶんな切り替えが必要だったはずで、そのスターターとして『ニッポニアニッポン』は寄与するものがあったのではないでしょうか。

阿部 まさにおっしゃるとおりで、あの時に『ニッポニアニッポン』を書いたことは、自分にとって非常に重要な意味を持っています。最大の意義は、その後の自分の執筆スタイルが確立されたと言えるところです。どういうことかというと、具体的にはパソコンで様々なアプリケーション・ソフトウェアを同時に使いながら書き進めるわけですが、とりわけ検索に時間をかける。Googleで特定のフレーズをひたすら調べたり、辞書ソフトを二つぐらい同時に見ながら語彙をチェックして、一文一文を書き進めるという形が完全に固定されたのが、『ニッポニアニッポン』を書くことによってだったんです。あれによって、小説を書く上での自分の資質と目指すべき方向性があらためて明確化したような気がしています。

☆次回掲載は来週6/21(金)

コルク

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ピストルズ』文庫化記念 阿部和重インタビュー 

佐々木敦 /阿部和重

『ピストルズ』の文庫化を記念して、評論家の佐々木敦が阿部和重へのインタビューを行いました。 講談社の月刊文庫情報誌『IN★POCKET』に掲載されたインタビューを、cakesでは全文公開! 自身の小説について語る阿部和重の言葉を、...もっと読む

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maru_rural 長編「シンセミア」を書いてる最中に短編「ニッポニアニッポン」を着想して書いたなんて! 5年以上前 replyretweetfavorite