神町トリロジーについて
佐々木 『シンセミア』が単行本で刊行されてから、今年で十年なんですよね。
阿部 そうなんです。ちょうど今年の二月にフランスで『シンセミア』の翻訳が刊行されて、同時期にこうして新たに文庫化してもらえた。たまたまなのですが、単行本から十年目という節目にそういう流れができたので、よかったなと。
佐々木 今日は、その『シンセミア』『ピストルズ』を含む阿部さんの三部作「神町トリロジー」を中心にお話を伺えればと思います。『シンセミア』は単行本が二〇〇三年に刊行されたわけですが、二〇〇三年に書かれたわけじゃなくて、「アサヒグラフ」での連載は一九九九年から始まっているんですね。
阿部 そうです。
佐々木 ということは、「神町トリロジー」の構想の出発点は、少なくとも九九年以前にさかのぼるわけだ。そもそも『シンセミア』のような巨大な小説、それ以前に書いていた小説とは比較にならないぐらいのボリュームのこの小説を書こうというのは、どこから着想したことだったんですか。
阿部 もともとぼくは小説家になる前は映画の専門学校に通って映画を勉強していたわけですが、当時から自分の地元の神町という町を舞台にした物語を、何らかの形で作品化したいという考えを持っていたんですね。それはなぜかというと、『シンセミア』や『ピストルズ』の参考文献になった郷土史の存在が大きい。「神町のあゆみ」っていう、小学校の創立八〇周年記念で編纂された書物で、そこに書かれていた占領時代の神町の状況が、かなり強烈に映ったんですね。実はぼく自身にとって、占領下の神町の状況というのは、それほど遠い出来事でもなかった。『シンセミア』でそのまま物語の中に取り入れてるんですけど、祖父がパン職人で、まさに終戦当時に地元にやってきた進駐軍にコックとして雇われてたんですね。それがそのまま『シンセミア』でも、田宮家の一代目のエピソードとして物語られている。
佐々木 ほとんど物語のルーツですよね。
阿部 子供のころに断片的に聞いていた、祖父の占領体験が物語の着想源になっている。なぜそれを聞いたかというと、自宅にアルミか何かで作られた見慣れないスプーンとフォークがあって、どう見ても日本製じゃない。よく見ると、柄の部分にUSという刻印があって、これは何だろうと母に聞いてみたら、米軍の兵士が使っていたものだと。なんでうちにあるのと聞いたら、祖父がそういう経験をしてたと。それがまず知識としてあったんで、占領下の神町がそれほど遠いものじゃなく、むしろ自分にとってある程度リアリティがあったんですね。
そういう前提があって、郷土史には占領期の状況、主には風紀の非常に乱れた一時期があったと。売買春をめぐる混乱とか、地元に暮らしている人たちが自分たちの家を商売用の場所として賃貸ししていたとか、そんなことが結構赤裸々に書かれている。その郷土史をはじめて手にとったのはバブル期のことで、当時の神町というのは、もはや終戦直後や占領期の混乱からはまったくかけ離れた、果樹王国を標榜する牧歌的な田舎町でしかなかったわけですが、ただ一方で、たとえば自衛隊の駐屯地があったり、その周辺にはちらほらと古い洋風の家屋があったり、駅舎なんかは西部劇に出てくるサルーンみたいな建物だと、地元紙の記事に書かれたこともあったんですね。
あるいは拙著にしばしば登場する若木山って小さな山に爆撃の跡があったりして、牧歌的な風景の中にもそういった歴史の爪跡みたいなものが所々に残っている。そういう歴史のリアリティがあったんです。さらに祖父の体験もあり、よけいに郷土史に書かれていた出来事に強いインパクトを受けたんですね。あ、これは自分自身に直接かかわる部分もあり、地元の物語としてひとつにまとめるべきではないか、いずれは映画として作品化できればと思ったんです。
その後小説を書くことになって、あのときに着想を得た地元の物語を、連載の仕事をいただいた九九年あたりに、そろそろ着手できるのではないかなと思えたんです。
佐々木 最初は映画のつもりだったんですね。
阿部 映画のつもりでした。だから、映画のような形でまずはイメージしてたんです。あと、神町という町名の奇妙さがあって……。
佐々木 最初、フィクションなのかと思ったものね。「神の町」って。
阿部 町名に関してもずっと興味があって、郷土史を当たったりしたんですけど、蓋を開けてみたらがっかりするような由来でしかなかった。むしろそこに面白さを感じたんです。映画には向かないかもしれないけれど、でも逆に文学というジャンルには非常に向いているような気がして、そこに可能性を感じました。
『プラスティック・ソウル』の「失敗」
佐々木 『シンセミア』は阿部さんにとって最初の連載小説でしたでしょうか? 『プラスティック・ソウル』のほうが前でしたでしょうか?
阿部 『プラスティック・ソウル』のほうが前です。『プラスティック・ソウル』は一九九八年から「批評空間」で連載させていただいたいたのですけども、自分の中では失敗作だという反省ばかりがずっと残っていました。
佐々木 失敗というのはどのような理由ですか?
阿部 連載が初めてだったということと、季刊というペースの難しさというのもありました。さらに当時、一九九七年の夏に『インディヴィジュアル・プロジェクション』が単行本になって、それがけっこう、いろんなメディアで取り上げていただいて、ちょっと自惚れたといいいますか……。
佐々木 ブレイクしちゃったんですね。
阿部 プチブレークなんですけども、要するに、まとまったお金が入ったんであの時期はパーッと遊んじゃったんですね。それで、ぼくの小説というのは、あらかじめ全体像をかなり綿密に固めておかないと書き進めるのに苦労するようなものが多いわけですが、『プラスティック・ソウル』もそういう物語を用意していたにもかかわらず、準備をさぼって見切り発車で始めちゃったんです。そうは言っても季刊だし、一回目書いといて、その次の号が出る前に、いろいろ固めてやっていけば何とかなるでしょぐらいの感じでやっていったら、それが大失敗で、連載している間、ずっと帳尻合わせしているような気持ちで書いてしまっていました。その後何年も経って、福永信さんからもご高評をちょうだいして、やっと本にする気になれたときには、これはこれで何らかの面白さはあるんだなというふうには気持ちは変わったんですけども、連載当時は反省しかなかった。ですので、「アサヒグラフ」からの連載の仕事をいただいたときに、二度と同じことはやるまいと思い、『シンセミア』の執筆にのぞんだわけです。
映画的発想とシナリオ体験
佐々木 『シンセミア』は連載を始めるときに、阿部さんの中ではもう全体の構想ができあがっていたんですか?
阿部 物語を場面ごとに割ったプロットと登場人物表という形で、連載前には八割程度はできていました。
佐々木 プロットと登場人物と、シーンという話がありましたけど、やっぱり映画の作り方が『シンセミア』に反映している部分はありますよね。
阿部 ありますね。映画的な発想や下準備というのは、『シンセミア』に限らず、デビュー作の『アメリカの夜』からずっとつづけているので、今となってはぼく自身の創作の癖みたいなものになっていますね。学生時代も、映画そのものはほんの数本しか撮らせてもらえなかったですが、シナリオは個人作業なので勝手にひとりでたくさん書いていました。学校の授業とは関係なく書いて、友達に読んでもらっていました。そのときに自分の中に培ったノウハウみたいなものが大きいと思います。書いている間も、物語は自然と場面ごとにカット割された映像として思い浮かべてしまっている。どこに誰がいて、どういうふうに振る舞って、そこにある物はどんな形で、どんな色でという具合に。だから自分は、どちらかというと空間性に特化された小説家なのかもしれないと思っています。
佐々木 最初に設計図をきっちり作って、できあがりに近いものが阿部さんの頭の中にあらかじめあって、それを今度は言葉にしていくという作業は、けっこう苦行ですよね。
阿部 それもそうなのですが、その意味で一番苦行だったのは、作品のタイプが異なる『ピストルズ』のほうなんです。実は『シンセミア』というのは、かなり楽に書けたほうなんです。ああいうふうな、基本的にリニアに構成された群像劇は、自分にとってはさほど難しいものじゃない。これもシナリオ量産の経験が生きているんだと思います。
佐々木 確かにそれ以前の『インディヴィジュアル・プロジェクション』の語りの錯綜した構造に比べると、まさに映画のように、たくさん登場人物が出てきて、物語がどんどん展開していくという、ノワールになっているから、以前のものよりはスピーディに、一定のベクトル感覚をもって書けたのかもしれないですね。
阿部 そうだと思います。それから、出てくる人たちがみんな、とにかくキレまくっててハイテンションなので、そのハイテンションに自分も身を任せて、勢いでバーッと書けるようなところがあって、とにかくワーッと罵り合いを演じさせていけばいいというようなところもあったので、スピーディにやれたということはありました。スピーディと言っても四年かかってますけども(笑)。もちろん、そうは言っても、単に決まっていることを書くだけではなく、文章として、辻褄を合わせながら、なおかつその場面に適した表現にしなければいけませんので、そこで時間はかかったところはあるんですけども、それでもわりとスラスラスラと書いていた印象があります。
佐々木 時間はかかってるけれども、ほかの作品に比べると、むしろノッてやれたということですね。
(第一回おわり)
次回掲載は来週6/18(火)