はじめまして。吉玉サキといいます。
私は昨年までの約10年間、北アルプスの山小屋で働いていました。山ガールならぬ小屋ガールです。と言ってもいい年なんですけどね。34歳です。
山小屋の日常を描いた「小屋ガール通信」でcakesクリエイターコンテストに入賞し、こうして連載をさせていただくことになりました。元小屋ガールの視点から、山小屋の仕事や暮らし、スタッフたちの恋や生き方などをお伝えしていきます。
山に興味のない方にとっても、素敵な暇つぶしになれば幸いです。どうか、お付き合いくださいませ。
山には山の社会がある?
11年前、23歳のときにはじめて北アルプスの山小屋でバイトをした。
当時は「山ガール」という言葉が流行る数年前で、登山をする女の子は今よりずっと少なかった。
私はというと、やっぱり登山未経験。山小屋が何か、北アルプスが何県にあるのかもよくわかっていない。
そんな私がなぜ山小屋に行ったのか?
それは、幼なじみのある言葉がきっかけだった。
私はどうにもメンタルが弱く、新卒で入った東京の広告代理店をわずか数ヶ月で辞めてしまった。
両親からほぼ強制的に札幌の実家に連れ戻され、レストランでバイトを始めたものの、人間関係が辛くて退職。ニートになってしまい、そんな自分に落胆していた。
仕事を探さなきゃ、と焦る。だけど、「また続かなかったらどうしよう」と思うと、怖くて動き出せない。2回連続で仕事が続かなかった私は、すっかり自信を失っていた。
そんなとき、幼なじみのチヒロが地元に帰ってきた。ワンシーズン山小屋で働いて、仕事を終えて下山してきたのだ。
チヒロは気ままでマイペースで、ふらりとどこかへ行ってしまうスナフキンのような女だ。高学歴なのに就職活動をせず、大学卒業後いきなり山小屋に行ってしまったが、彼女を知る人間は誰も驚かなかった。
ススキノの居酒屋でチヒロと会う。私は、仕事が続けられない悩みを打ち明けた。
「山小屋で働けばいいじゃん~」
ハイボールをぐいぐい飲み干しながら、チヒロはこともなげに言う。
「無理だよ。きっと続かないよ」私は反射的にそう言った。
「なんで~? やってみないとわかんないじゃん~」
「だって私、2回連続ですぐ仕事辞めちゃったし」
「100回連続で辞めてから判断すれば~?」
「私なんて社会不適合者だし」
「知らないけど~。でも、山は山の社会だから~」
山の社会がどんなものか、チヒロの説明は要領を得なかった。幼稚園からの付き合いだが、彼女の話はだいたいよくわからない。
だけど、「山の社会」という言葉が妙に心に残り、数週間経っても気になっていた。
山には山の社会があるの? そこは、私が見てきた社会とはどう違うの?
日本の社会はひとつだと思っていた。だけど、そうではないのかもしれない。もしかしたらこの国のどこかに、私にも適合できる社会があるのかもしれない。
山小屋についてもっと詳しい話を聞きたいと思った。しかし、チヒロはあっという間にメキシコに留学してしまい、山小屋の具体的な仕事内容などは聞きそびれてしまった。
私は思いきって、チヒロが働いていた山小屋に履歴書を郵送した。
山小屋のことをまったく知らなかった
春、山小屋から採用の手紙が来た。そこには勤務開始日や持ち物、山小屋までのアクセスなどが記されていた。
働くことが決まってもなお、私は山小屋がよくわかっていなくて、山奥にある温泉旅館をイメージしていた。
……全然違う。
北アルプスの山小屋にはお風呂がない。いや、正確にはお風呂がある山小屋もあるのだが、それは数えるほど。ほとんどの小屋は、お客様用のお風呂を用意できるほどの水がない。山は本当に水が少ないのだ。
だけど何も知らない私は、大浴場の床をデッキブラシで掃除する自分を想像していた。
また、「北アルプス」を山の名前だと思っていた。
実際は、ひとつの山の名前ではなく、山脈の名前だ。長野・岐阜・富山・新潟の4県に跨って連なる山々を北アルプスと呼ぶ。
それも山小屋に行くことが決まってから知った。
いよいよ山に行く準備だ。
ここではじめて登山について検索した。私は、登山の基本装備も知らなかった。
登山をするには、登山靴とザックとレインウェアが必要らしい。
とりあえず石井スポーツに行き、店員さんに相談して安いものを買い揃える。店員さんのアドバイスにより、登山用の靴下も購入した。
しかし。
私は、登山用ウェアの存在を知らなかった。
服なんて動きやすければなんでもいいと思っていた私は、ユニクロのスキニーデニムと綿のTシャツで山に行ってしまった。
まさか、登山専用のウェアがあるなんて考えてもみなかったのだ(今思えば、なぜ石井スポーツで気づかなかったのか)。
ご存知の方も多いだろうが、綿素材の衣類は汗や雨で濡れると乾きにくい。そのため体が冷えやすく、登山には適さない。もちろん、綿の服が必ずしも危険というわけではないけど、速乾素材の軽いウェアに比べると、快適ではない。
当時の私は、そんなことにも気づかなかった。
私が見ていた「社会」はほんの一部分
さて、実際に私が目にした「山の社会」がどんなものだったか。
それは、この連載で少しずつ伝えていきたいと思う。
結論から言うと、私は、山の社会には適応できた。
何も知らずにユニクロのデニムで山に飛び込んでいった23歳は、それから約10年を山小屋で過ごし、最後の3年は夫とともに小さな小屋を任されるまでになる。書き忘れていたけど私は結婚していて、夫は山小屋の先輩だ。夫婦で小屋を切り盛りした3年は、後輩の育成や売上管理、仕入れ、新商品の開発なども行い、それまで以上にやりがいを感じた。
山に行ったことで、私の人生は大きく変わった。
大切な人がたくさんできた。
私にもできる仕事があると知った。
自分のことを、そこまでダメじゃないと思えるようになった。
山小屋に行く前の私は、「社会のどこにも私の居場所なんてない」と思い込んでいた。
だけど、当時の私がどれほどの「社会」を知っていたというのだろう?
私が見ていた「社会」なんて、全体のほんの一部分だ。たぶん、鳥取砂丘で言えば砂2粒くらいじゃないだろうか。たった2粒しか見ずに、あの広大な砂丘のどこにも居場所がないと決めつけるのは、早とちりだろう。
私だけじゃない。一人の人間が一生のうちに目にする「社会」は、社会のすべてではない。
だから、もしもあの頃の私のように「社会のどこにも私の居場所なんてない」と思い悩んでいる人がいたら、伝えたい。
大丈夫。砂丘も社会も広いし、あなたの居場所は必ずどこかにあるから。
それは、山かもしれないし、他のどこかかもしれない。
イラスト:絵と図 デザイン吉田