シンガーソングライター・前野健太(左)と詩人・文月悠光(右)
震災直後の節電で暗い街の中に、前野さんの歌があった
文月 前野健太さんの初のエッセイ集『百年後』(スタンド・ブックス)には、戦後に活躍した詩人・田村隆一さんのお話が出てきますよね。
前野 詩は好きなんですけど、これまで昔の現代詩の人のものしかほとんど読んでこなかったんです。戦後詩で時代が止まっていて、最近の詩人を全然知らなかった。あの……ちょっとお酒飲んでいいですか。
それで文月さんも存じ上げませんでした。そして、1年くらい前に初めてお会いしたんですよね。共通の知り合いに紹介してもらったんだったかな。それで「俺、詩好きっすよ」みたいな話をさせてもらいました。
文月 『洗礼ダイアリー』(ポプラ社)という私のエッセイにも出てくる言葉なんですけど、「生きている詩人、いるんですね」とおっしゃっていましたよね。
前野 たぶん「いるな」というのはなんとなく知っていました。実は今も詩の雑誌は出てるんですよね。
文月 そうなんです。代表的なものだと『現代詩手帖』(思潮社)という月刊誌があります。一般に手に取る方は少ないかもしれないですが。
前野 ねえ。そういうのに今も詩が載ってるというのは存じていたんですけどね。今をときめく、今の詩人なんですと紹介されて。それで、これを読んだんです。
文月 第1詩集(『適切な世界の適切ならざる私』思潮社)ですね。
前野 これ、すごかったです。いや、これねぇ……ちょっとすごかったです、本当に。こんなにすごい人をなんで知らなかったんだろうと。なんというか、これまでなぜ交わっていなかったのかと。
それでちょっと聞いてみたかったのが、「生きている詩人」ということなんですけど。今の時代に詩人であることは、そのことに意識的にならざるを得ないという状況があるわけじゃないですか。
文月 私は10代のときに詩集も出したので、初対面の人と知り合うときは大体「詩人」という肩書きがセットでした。「詩人ってことは、ある程度文化的素養があるんでしょ? 」という目で見られることの息苦しさみたいなものはあった気がします。
前野 僕の歌は聴いたことありました?
文月 前野さんのお名前自体は、上京した年くらいに知りました。『SPA!』(扶桑社)という週刊誌でインタビュー取材を受けることになったんですね。当時学生だったので、大学の近くの喫茶店まで編集者に来て頂いたんですけど、その時に渡してもらった最新号に、“セックス”とか“風俗”という言葉が躍っていて……(笑)。これを持って授業に出るのか…と思いながら雑誌をめくっていたら、前野さんのインタビューが載っていました。
前野 へぇ、そうだったんですね。
文月 それで「前野健太」というシンガーソングライターの存在を知って。そのページの写真が仄暗い場所で撮られていて、おどろおどろしい雰囲気で……すごくインパクトを感じました。
前野 あの時はまだ俺、服着てたんですよ、『SPA!』で。この前、「グラビアン魂」というのに出まして(2016年12月13日号)、Tバック一丁だったので。それ見られなくて良かったです(笑)。
文月 ……(笑)。それから、前野さんのお名前になんとなく注意を向けるようになったのですが、曲を聴くまでには至らなくて。初めて曲を聴いたのは、批評家の佐々木敦さんが主宰する批評塾に通っていた時です。2014年に松江哲明監督がゲストに来られる回があって、松江監督のドキュメンタリー映画の上映をしたんです。その時、前野さんが東京の街を歩きながら歌うドキュメンタリー『ライブテープ』(2009年)と『トーキョードリフター』(2011年)をセットで観ました。
それが前野さんの歌との初めての出会いでした。『トーキョードリフター』には、東日本大震災直後の節電で暗くなった街が映されていた。まだ私たちには何も答えが出ていない時でした。そこに、前野さんの歌がありました。
左から、前野健太、文月悠光、司会の北沢夏音
変わらない街を歩きながら、変わってしまったことを楽しむ
文月 映画の中で歌を聴き、実際に目の前で前野さんの歌を聴いたのが2016年。わりと最近なんです。街の景色の中を、フラッと歩きながら歌っている前野さんの姿が記憶にあるせいか、街から歌をつくるという人物像が、前野さんのエッセイを読んでいてもよく伝わってきます。街や人をすごく愛していらっしゃるのだろうし、歌と街が切り離せないものなのだろうと思いました。
ご自身と親しい人の話が、前野さんのエッセイ集『百年後』にはあまり出てきません。しかし、一度だけ会って、もう二度と会うことはないはずの人へのまなざしがとても優しいなと、読んでいて感じました。あと、いちいち格好良いですよね、言葉が。
前野 格好をつけてるんですよ……(笑)。高円寺の、この本屋さんの先に八百屋さんがあるんですけど、あそこはもう何十年も前からずっと変わってないんです。むしろ年々、八百屋さんの呼び込みの声が、そのだみ声が太くなっている。
それって面白くないですか。そういう人の横を通り過ぎるだけで、たまらない気持ちになってくるんですよね、街の人たちの面白さに。いくら歌や詩を身に付けようとしても、あの感じは出ない。街にこそ詩人はいると思っていて、そういうことをよく言うんですけど、彼らから出てくる響きみたいなものが好きなんですよね。だから身近な人のことはあまり書かないのかもしれません。
文月 もう亡くなった方の話、たとえばフォーク・シンガーの加地等さんの話などが、印象深くスーッと入ってきました。
次回「震災の後、ネット上に投げかける言葉が嫌になった」は8/14公開予定。
(司会:北沢夏音/構成:岡本尚之/撮影:碇雪恵/2017年3月28日文禄堂高円寺店)