家庭薬として不可欠な存在からの転落
生薬の独特な香りと、不思議な味わいの小さな銀色の粒——いまの40 代以上であれば、誰もが知っていると思われる『仁丹』。
甘草(かんぞう)や阿仙薬(あせんやく)、桂皮(けいひ)、薄荷脳(はっかのう/メントール)など16 種類の生薬を配合して丸め、保存性を高めるために純銀で表面をコーティングした口中清涼剤です。
この仁丹を販売する「森下仁丹」は1893(明治26)年に創業し、この2018(平成30)年2月11日、125周年を迎えることができました。この日は『仁丹』が発売された日でもあることから、2008年には「仁丹の日」に認定されています(日本記念日協会登録済み)。
日露戦争真っただ中の1905(明治38)年、懐中薬として発売された『仁丹』(当初は『赤大粒仁丹』。1929〔昭和4〕年から発売される『銀粒仁丹』の前身にあたり、表面はベンガラという赤色顔料でコーティングされていました)は、発売2年目には国内家庭薬の売上第1位になりました。
公衆衛生や医療水準が低く、風邪や食あたりでも命を落とす人が少なくなかった当時の日本で、創業者の森下博が「病気は予防すべきものである」という考えに基づいて開発。懐中薬(携帯できる薬)というアイディアは、森下が台湾に出征した際、現地の住民が常用していた丸薬にヒントを得て作られました。
確かな商品力と、明治・大正期に猛威を振るっていたコレラに対しての予防を前面に打ち出す広告展開が相乗効果をもたらし、国民的な総合薬として長らく人びとに愛され続けてきたのはご存じの通りです。
仁丹発売3年目となる1907(明治40)年、森下博は早くも輸出部を創設し、中国をはじめインドや東南アジア、南米、アフリカなどへとグローバル規模で販路を拡大していきました。
その結果、1921(大正10)年には日本からの売薬輸出の60%を占めるほど、世界で人気の商品となったのです。
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