沈黙

「私」はどこからきたのか?1969年7月20日。人類がはじめて月面を歩いてから50年。宇宙の謎はどこまで解き明かされたのでしょうか。本書は、NASAの中核研究機関・JPLジェット推進研究所で火星探査ロボット開発をリードしている著者による、宇宙探査の最前線。「悪魔」に魂を売った天才技術者。アポロ計画を陰から支えた無名の女性プログラマー。太陽系探査の驚くべき発見。そして、永遠の問い「我々はどこからきたのか」への答え──。宇宙開発最前線で活躍する著者だからこそ書けたイメジネーションあふれる渾身の書き下ろし!人気コミック『宇宙兄弟』の公式HPで連載をもち、監修協力を務め、NASAジェット推進研究所で技術開発に従事する研究者 小野雅裕がひも解く、宇宙への旅。 小野雅裕の書籍『宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─』を特別公開します。


地球外文明とのファースト・コンタクトはいかなる形になるだろうか? 映画によくあるようにUFOから宇宙人が降りてくるのだろうか? 月でモノリスが発見されるのだろうか? あるいは、異星人の「ベスト盤」が添えられた探査機がある日突然墜落してくるのだろうか?

地球外文明探査(SETI)を行う科学者の多くは、ファースト・コンタクトは電波によるものだろうと考えている。電波による通信は宇宙船を送るよりはるかに安価で、遠くまで到達する上、光のスピードで飛ぶことができるからだ。

宇宙人からの電波を探すことに一生を賭けた人がいる。本章で既に何度か登場した「ドレーク方程式」の名の元になった、フランク・ドレークである。

僕はドレークに二度会ったことがある。「ドレーク方程式」を生んだ時は夢に燃える三十一歳の若手研究者だったドレークは、八十四歳になっていた。顔は年相応に白眉白髪で皺が深く刻まれていたが、足腰はしっかりしており、明晰な知性も好奇心旺盛な魂も衰えていなかった。だが何か、冬枯れの野に取り残されたヤシの木のような寂しさが、彼の目の奥にあった。

彼は探し続けた。彼のキャリアの全てを捧げ、半世紀以上も探し続けた。そして、見つけられなかった。

彼が見つけるのに最も労力を割いたのは、宇宙人からの電波よりも資金だったかもしれない。SETIは常に資金不足に悩まされ続けた。

ドレークは一九六〇年に世界初のSETIであるプロジェクト・オズマを行った。直径26メートルのアンテナを銀河に存在する千億の星の中のたった二つに向け、二週間観測した。何も聞こえなかった。これは宝くじを2枚だけ買って外したようなもので、ドレーク自身も「当たり」を期待したわけではなかっただろうが、この象徴的なプロジェクトは多くの人にインスピレーションを与えた。

それ以降、ドレーク自身を含む世界各地の天文学者がSETIプロジェクトを立ちあげ、星々にアンテナを向けた。世界はアポロの熱狂の中にあり、しかし月以遠のことはほとんどわかっておらず、わからないが故に人々のイマジネーションは縛られず、『2001年宇宙の旅』に代表されるようなオプティミステックな未来観が人々に共有された。政府の研究資金も現在よりもオプティミズムに対して寛容だったのかもしれない。初期のSETIプロジェクトの多くは国からの研究資金を受けて行われた。

だが、当時は系外惑星が発見されるはるか前で、銀河の千億の星のどれがハビタブルな惑星を持つか見当すらなく、そもそも惑星が銀河にいかほどあるかすら知られていなかった。狙いを定められない以上、できることは「宝くじ」をたくさん買うことだけだった。自ずと、探査は薄く広くならざるを得なかった。たとえば一九八〇年代に行われた最も網羅的なSETIであるMETAプロジェクトでさえ、ひとつの星に対して2分ずつ、非常に限られた周波数で耳を澄ましただけだった。

疑わしい候補はいくつか見つかった。最も有名なものは一九七七年に受信された「Wow!シグナル」と呼ばれるものだ。72秒間にわたって、銀河の中心方向から、狭い周波数で非常に強力な電波が届いた。紙にタイプされた信号を見た天文学者が思わず「Wow!」と書き込んだことから、「Wow!シグナル」と呼ばれるようになった。だが、Wow!シグナルを含む疑わしい信号は全て再現性がなかった。同じ方向に同じ周波数でアンテナを向けても、同様の信号を受信することは一度もなかった。検証のしようがなくては「発見」にはならない。

宇宙の大きさに比して、人の忍耐力は小さかった。一向に得られない成果に政府は研究資金を渋るようになった。科学にとっては「見つからない」ことも成果ではある。地球外文明の存在確率の上限がわかるからだ。だが、政治家も納税者も、わかりやすい「ニュース」を科学に求める傾向があるのは否めない。一九九二年以降、アメリカ連邦政府はSETIに対する研究費を1セントも出していない。

それでもドレークは、這いつくばって資金を集めては「宝くじ」を買い続けた。政府に頼れないと悟った彼は篤志家を頼った。二〇〇三年、マイクロソフト共同創業者であるポール・アレンより2500万ドル(約25億円)の寄付を受け、カリフォルニアの砂漠に42機の合成開口アンテナから成るアレン・テレスコープ・アレイ(ATA)が建設された。しかし、さらなる寄付はなかなか集まらず、当初の計画された350機のアンテナの建設は叶わぬばかりか、二〇一一年には運営資金不足でATAは一時閉鎖に追い込まれる。八十歳の老ドレークは資金集めに奔走し、なんとか八ヶ月後に再開にこぎつけた。

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宇宙に命はあるのか ─ 人類が旅した一千億分の八 ─

小野雅裕

銀河系には約1000億個もの惑星が存在すると言われています。そのうち人類が歩いた惑星は地球のただひとつ。無人探査機が近くを通り過ぎただけのものを含めても、8個しかありません。人類の宇宙への旅は、まだ始まったばかりなのです…。 NASA...もっと読む

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syouwaoyaji https://t.co/UdJjkr8AcS 約2年前 replyretweetfavorite

uchu_kyodai NASAの研究者 小野雅裕がひも解く、宇宙への旅。 約2年前 replyretweetfavorite