殺し屋のマーケティング』 1

「受注数世界一の、殺しの会社を創りたい」
世界一売りづらい「殺し」を売るための会社作りに奮闘する女子大生、桐生七海の師匠であり、「最強のマーケティング技巧」を持つ西城が銃弾に倒れた。師匠を失った七海を取り巻くようにさらなる事件が起こり、そして物語は衝撃のラストへ――。今話題の書店経営者が初めて書く新しいマーケティング&エンタメ小説、第50回。


たとえば、あなたの大切な人が殺人事件を起こしてしまったとしたら、あなたはどうするだろうか。

それまで、代わり映えのしない日常が瞬間的に覆ったとしたら、しかもそれに対して自分に何ら落ち度がなかったとしたら、いったい、どうするだろうか。

日向涼という少年の身に起きたことは、まさにそんなことだった。

それまで、クラスでも人気者だったという。明るくて、ハンサムで何をやっても器用にこなす子どもだったと、彼を知るほとんどの人は、口を揃えて言う。  
殺人鬼の子は殺人鬼と、どこに行っても蔑まれ、もうどうしようもない差別のただ中にあって、明るい少年は、未来に対してより多くのことを諦めねばならなかったのだろうと思う。

事実、日向涼は生前、こう言っていたという。

生きるために人を殺す。人を殺すことしか自分にはできない。

どこの街に流れても、彼の殺人鬼のDNAは問題視された。
けれども、考えてみてほしい。七歳まで彼は、カメラマンの子どもだったのだ。父親がその後、連続殺人犯になったとして、彼のDNAまで変容するものだろうか。

変わったのは、周りの環境だった。  
殺人鬼のDNAを持っているに違いないという偏見に、おかしな話だが、彼は応えなければならなかった。

思春期に差し掛かった彼は、鬱屈を覚えるようになった。それは、おそらく、普通の少年が思春期に差し掛かっただけのことだったのだろう。児童養護施設の中でも、差別され、隔離されるように生活していた彼は、同じ施設に暮らす児童たちからの陰湿ないじめに耐えかねて、暴力を振るった。何のことはない。石をぶつけて、ガラスを一枚割ったのだ。

運悪く、その破片が小さな女の子の頰を切った。これが大きく喧伝され、彼は精神科病院に収容されることになった。  
おそらく、その施設でも本音では厄介払いをしたかったのだろう。誰もが殺人鬼のDNAを恐れていた。あるいは、不気味に思っていた。彼が頑なに、名前を変えようとしなかったのも、その不気味さに拍車をかけた。 その理由は単純だった。日向涼は、自分の父親を生涯愛していたのだ。

殺人鬼だろうとも、日向志津男は彼のたった一人の父親だった。彼にとっては、自分に愛情を注いでくれる、唯一の身内であり、尊敬するカメラマンだった。  
幼い日の日向涼の夢はカメラマンになることだった。あの事件の後、決して口にすることはなくなったが。

精神科病院に収容された彼だが、別段、問題はなかった。ただ、病状がなければ収容されることもなく、収容されなければ、どこも彼を引き取るところがなかったので、致し方なく、彼は仮病を使った。  
ちょうど、音楽療法なるものの研究がその病院でも始まろうとしているころだった。その研究者の求めに応じて、彼は「音楽がある状態でのみ精神的に安定する」ことを演じるようになり、常にイヤフォンを耳につけるようになった。

そのころ、もう一つの出会いがあった。オリンピックのライフル射撃において三大会連続で金メダリストになった伝説のスナイパー「ジョー・キリュー」と出会ったのだ。キリューは、犯罪者の子どもたちに自信をつけさせるために、自ら射撃を教えた。日向涼は、射撃の虜になった。射撃をしている間だけ、静寂の中にいられた。何もかも、忘れられるようになった。そして、精神が安定するようになった。
そのときに、ジョー・キリューの幼い娘、桐生七海と出会った。

やがて、彼は類稀なる狙撃の才能を認められ、スナイパーの世界で頭角を現すようになった。世界中の為政者やテロリストの求めに応じて、彼は狙撃の技術をいかんなく発揮した。  
アメリカのCIAと組んだ、麻薬カルテル掃討作戦の際に、単身でカルテルの首領がいる街に乗り込み、一晩で幹部八人を射殺し、実質的に組織を壊滅させた。このとき、ちょうどイヤフォンがなくなり、それで鬼神のように戦ったのだろうという話が独り歩きした。

ここから、サイレンス・ヘルの伝説が始まった。

人を殺せるのは、才能だろうかと彼は苦悩した。殺人鬼のDNAが自分にもあるのではないかと恐怖することがあった。

殺人鬼の子は、殺人鬼。

自分でも、そうなのではないかと思ったのだ。この考えを常に覆してくれたのが、あの湖畔の射撃場にいた、小さな少女の言葉だった。

「蛙の子は、おたまじゃくしよ。だってそうでしょ? なんで蛙の子は、蛙って言うんだろうね」

おそらく、それを言った桐生七海には何の意図もなかったのだろう。けれども、日向涼にとって、それは救いとなった。自分は父親とは違うのだと思った。思いつつ、父親への敬愛がやまなかったところに、おそらく日向涼の悲劇があるのだろう。

彼は、殺人鬼の父を捨ててよかったのだ。  
名前を変えて、どこか遠くに行き、別の人生を歩むことだってできたはずだ。しかし、彼は日向涼という名前を捨てず、ひなた写真館にも密かに戻っていた。そして、父のカメラで写真を撮っていたのだ。  

デス・ポートレートと呼ばれるあの写真を始めたころ、日向涼はひどく疲れていたという。世界で戦い続け、人を大勢殺し、もう意味もなく人を殺すのは嫌だと感じ始めていた。けれども、彼にできることは殺すことだけだった。

そして、彼は考えた。殺しが人を救うことになるのではないかと。

そう、まったく違った方法論だったが、日向涼は桐生七海と同じように、殺しで人を救う方法を思いつき、それを実行したのだ。

あの日、ひなた写真館の明室で、日向涼は僕にこう問うた。

「大切な人を殺されるとして、誰に殺されるのが、人は一番悲しいだろうか?」

それは、たしか響妃に一度された質問と同じだった。  
僕は、すぐに答えられた。その人本人、と。

日向涼は、嬉しそうに微笑み、そう、そうなんだと幾度となく頷いた。あるいは、僕と心を通わせたのは、あの質問がきっかけだったのかもしれない。  
彼は、死への強烈な欲求、タナトスに囚われて、もうどうしようもなくなった人たちが自殺する代わりに、殺しに見せかけてその生を終わらせていたのだ。  
世の中で唯一愛する人を、自殺で喪ってしまった自らの悲しみが根底にあるのだろうと思う。自分と同じような想いをする人を、増やしたくなかったと彼は言った。

報酬は、最後の一枚の写真だった。彼は、タナトスに囚われ、死を覚悟した瞬間の人から、どうしようもないほどのエロスが放出されることを、アーティストとして知っていた。  
それが、デス・ポートレートと呼ばれるあの一連の作品群の秘密だった。

山村詩織や藤野楓がそうだということは理解できた。けれども、一〇二歳の老女寺岡澄子がなぜデス・ポートレートになっているのか、僕にはわからなかった。  
目白台から依頼された日向涼は、あの湖畔の老人ホームを訪ねたという。総理大臣大我総輔が、あなたの命を狙っていると率直に話した。  
そうしたら、寺岡澄子はこう彼に言ったという。

「それなら、殺してください。ご迷惑をかける前に、殺してください。私は十分に生きましたから」

明室に掲げられていたのは、そのときに撮った写真だと言う。

それでも、寺岡澄子が僕に最後の「ククリコクリコクの粉」を託したのは、村の秘密の伝承者としての最後のあがきだったのかもしれないし、息子が村にしたことに対する、母親としての最後の償いだったのかもしれない。

実は、日向涼自身も知らないうちに、徐々にタナトスに侵されていたのだろう。人の死と関わるようになり、彼は強く、死を意識するようになった。

もしかして、どこか、死に場所を探していたのかもしれない。  
桐生七海に、助けてほしいと言われたとき、心の底から嬉しかったと目に涙をためながら、彼は僕に言った。  
だから、いいのだと。自分の命を七海のために使うことができれば、何も悔いはないと。  
そう晴れやかな表情で、サイレンス・ヘルこと日向涼は言った。

そのときほど、僕にカメラの技術がなかったことを後悔したことはない。あの瞬間に、シャッターを押せればよかった。

おそらく、きっと、いや、絶対にだ。  
世界で最も美しいデス・ポートレートになったことだろう。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

この連載について

初回を読む
殺し屋のマーケティング

三浦崇典

「受注数世界一の、殺しの会社を創りたいんです」 女子大生、桐生七海は本気だった。「営業」ができない、「広告」も打てない、「PR」なんてもってのほか、世界一売りづらい「殺し」をどう売るか――、そんな無理難題を「最強...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません