(筆者:株式会社トライフォート代表取締役CEO大竹慎太郎)
いつも成果を上げ続ける人の特徴
私はお陰様で現在、多くの成果を上げている経営者の方々との知遇を得ることができている。そういった方々の背中を見ていると、決して努力をせずに成果を上げている人などいないということが、手に取るようによくわかる。
ただ漫然と生きているだけで成果を上げられるとか、幸せが手に入るとか、そんな都合のいい形には、この世の中はできていないのである。
営業成績を上げたければ努力をしなければいけないし、キャッシュエンジン起業のタネを見つけるためにも努力が必要である(「キャッシュエンジン起業」の詳細は、『起業3年目までの教科書 はじめてのキャッシュエンジン経営』参照)。
いい人を採用するにも、多くの人と知り合うのにだって努力が必要である。
これは何もそういった大きな話だけに関連する話ではない。例えば、朝活を始めようと思って、毎朝早起きをしようとすればまた努力が必要であるし、素敵な恋人がほしいと思っているのであれば、当然そのための努力が必要である。
どのような分野であっても、成果を上げたければ、徹底的な行動が必要であるし、幸せになりたければ、努力をしてその幸せを自らの手で、鷲掴みにしにいかなければならない。
「いくらでも成果を上げられる人」「いつまでも成果を挙げられない人」
では、そんな構造にあるこの世界の中で、いくらでも成果を上げ続ける人と、いつまでも成果を上げられない人との間に大きな差がついているのはなぜなのか? それを私は、「努力を努力だと思っているかの差でしかないのではないか」と考えている。どういうことか?
続々と成果を上げている先輩経営者の皆さんを見ていて明確にわかったことは、すでに何度も成果を上げて、成功の上昇気流の中にある人は、次の二つを知っている人たちであるということだ。
・努力をするのなんて当然
・なぜなら、できるまで続けていれば、おおよそのことは出来るようになるから
多くの自己啓発書で「できるまで続けなさい」「成功するまで続けた人が成功者なのである」といったことを推奨している。私も全くそれに同意するものである。ただ問題があるとしたらそれは、「続けることができるか否か」の差だけである。
では、物事を続けられる人と続けられない人の差は何なのだろうか? その差を私は、次のようなものだと考えている。
・いつも成果を上げ続けている人は、「続けていればおおよそのことは必ずできるようになること」を体感として知っている
・成果をいつまでも上げられない人は、「続けていればできる」ということに疑念を持っている。あるいは、できるようになるまで続けた経験がないから、いつまでも「続けていればおおよそのことは必ずできるようになること」を信じることが出来ない
できるかどうかに疑問を持っていれば、物事を続けることなんてできない。一方、「おおよそのことはできるようになる」ということを知っていれば、何の躊躇もなく行動し続けることができる。これはあまりに自明なことなのではないかと思う。
そうはいっても、今まであまり成果を上げて来なかった人にとってこの話は、あまりに荒唐無稽なものに感じられるかもしれない。それも無理なからぬことだろうと思う。それは、成果を上げたことがない人にとって、成果を上げること自体があまりに未知な世界だろうと思うからだ。
成果を上げ続けた経験がなければ、たった一度や二度の成果を上げたところで、それは自分の実力というよりも運や偶然によってもたらされただけのようなものにしか感じられないだろう。
しかし、何度も成果を上げてきた人にとっては、成果を上げることなんてあまりに当然のことなのである。それは実際に彼らが、何度も何度も”実際に“成果を上げ続けてきたからだ。
だから彼らはいくらでも努力ができる。そして彼らはもはやその努力を努力とは思っていない。彼らはただ「できるようになるまでやり続けているだけの人」なのだ。
「他人にできるおおよそのことは自分にもできる」と信じ、実際にやり続ける人と、「やったところでできるかどうかはわからないな」と思いながら半信半疑で事に当たる人との間の結果に、大きな差が出ることは、火を見るよりも明らかである。
意志の力には頼るな
これまでの人生で、多くの偉大な先輩経営者の方々と接してきた私の最終結論は、これである。
彼らは、「できるようになるまで、ただやり続けてきただけの人たちだった」のだ。
だからまだ「できるまで続けていればおおよそのことは必ずできるようになる」と思えない人は、まずはこのことがまごうことなき真理なのだと分かるところまで、歯を食いしばって努力を続けて、このことの正しさにまず気づいていただきたいと思う。
ただそうはいっても、成果が上がるまでやり続けることがそもそも難しいことである。それが簡単であれば、ほとんどの人が成果を上げ続ける人の側にもう立っているはずである。では、どうやれば人は物事を継続してやり続けることができるようになるのだろうか?
私の考えでは、意志の力に頼るのは良くない。意志の力には個人差があるし、一人の人間の中でも、意志の力は日によってバラつきもある。
行動というものはやり続けることに意味がある。日によってムラがあるようでは遠くには行けないのだ。だから、意志の力に頼って何事かをなそうとするのは端からやめておいたほうがいい。
では、意志の力に頼らないとしたら、どうすれば行動を継続することができるようになる?私の考えでは、「命綱を握りしめながら、断崖絶壁から続々と飛び降り続けよ」である。どういうことだろうか?
前半の「命綱を握りしめる」とは、起業することを考える場合ならそれは、「ちゃんとキャッシュエンジンを持った状態で起業しましょう」といったことである。すなわち、大きく勝負をかけるときには、その裏で、ちゃんと失敗しても死なない仕組み——すなわち命綱——が必要なのである。
そういった命綱を確保しないうちに崖から飛び降りたとして、着地に失敗して再起不能になってしまっては元も子もないのだ。さらにはそれ以前にそもそも、命綱を装着していない状態で崖から飛び降りることができる人なんて、ほとんどこの世にはいないと思う。
起業して半年で70人を雇用できた物理的な”仕組み”
私はよく人に、「よく3年で人を180人も雇ってすごく勇気がありますね」といったことを言われることがある。しかし私は勇気があるほうの人間ではない。私だって怖いものは怖いし、逃げ出してしまいたいと思った場面と数え切れないほど遭遇してきた。
ではなぜ私は今まですべてを投げ出さずに経営を続けてこられたのか? それは私に、キャッシュエンジン型事業という名の命綱があったからだ。
私には、意志の力も勇気もなかった。私にあったのは、心に余裕を持った状態で最大限の挑戦を可能にしてくれる、「キャッシュエンジン型事業」という名の物理的な”仕組み”——すなわち命綱——だけだったのだ(詳しくは『起業3年目までの教科書 はじめてのキャッシュンジン経営』参照)。
では後半の「断崖絶壁から続々と飛び降り続けよ」とは何なのか? これを簡単に言えば、大体の人の意志というものは弱いものなので、何かをやりたい、何かをしようと思った時にはもう、それをやらざるを得ない状況に、自ら自分を”追い込めば”いいだけ、という話である。いわば、そういった環境に自ら身を置きにいきなさいという話である。
これは私のトライフォートの経営の話でいえば、「起業後に半年で、すぐに70人も人を雇った」みたいな話である。
起業して以来私は全力で駆けずり回ってきたが実は、その原動力の一つには、「こんな大きな仕事を請けてしまった以上は……」「社員をこんなに雇ってしまったから……」「こんなに出資してもらった以上は……」「株主をこんなに巻き込んでしまった以上は……」という想いから発せられる「やるしかない」という、もはや逃げることが許されない、“物理的な”“状況“があったのである。
私は、意志の力に頼るのではなく、そういった”状況”を意図的に生み出し続けてきたからこそ、そんな環境に自ら身を置き続けてきたからこそ、今まで走り続けてくることがきたのだ。
逆に言えば私はもう「行動を止められない状況」にある。であればもう、雇った人たちの生産性を高め、最高の仕事をし続けるしかないではないか。だったらトライフォートの経営を全力でやっていくし、全身全霊をかけて仕事人生を楽しんでいこう、そう思って歩みを前に進め続けている毎日である。
命綱を握りしめながら続々と断崖絶壁から飛び降り続けよ
ただし、私が半年ですでに70人の人を雇い入れる形で断崖絶壁から飛び降りたとはいっても、もちろんその時点でも、著書の中で詳しく書いた「起業する前から仕事を数件取ってきて、各仕事の半分を前払いしてもらっていた」という命綱を用意することを私は忘れていなかった。
つまりこの話は、決して「ただただ無鉄砲であれ」という話とは似て非なるものであるから注意が必要である。
「命綱を握りしめながら、断崖絶壁から続々と飛び降り続けよ」という考え方は、何も起業といった大きな話だけに関わらず、人生のあらゆる場面に応用できる考え方だと思う。
例えば、転職を考えている人は、現在の職場にいるうちに転職活動を始め、次の職場が決まってから前の職場を辞めるほうが、心に大きな余裕を持てるだろう。これが転職の場面で命綱をちゃんと握りしめるという考え方である。
一方この場面で断崖から飛び降りるためには、まずは面接のアポを入れるといった方法がそれに当たることになる。アポを取った以上はその日の面接に向けて努力をせざるをえなくなる。逆に、準備ができてからアポを取ろうなどと思っていては、いつまでも準備を始めず、行動はのびのびになってしまうだろうと思う。
ちなみにこの場合、面接の能力も経験を積めば積むほど上がっていくものなので、この方法でいきなり第一志望の会社の面接を受けるのは悪手である。崖から飛び降りろとは言っても、着地に失敗して死んでしまっては元も子もない。
だからこの場合は、志望度の低い企業からエントリーしていき、面接能力の向上とともに、徐々に受ける会社の志望度を上げていくという方法が命綱を握りしめるという行動になる。
他の例で言えば、何か新しい企画を進めたいと思っている人は、先に上司か取引先にプレゼンを行うアポを入れてしまえばいいと思う。そうすれば、プレゼンの日までに準備を”せざるをえなくなる“状況を生み出すことができる。あなたはもう企画の提出から逃げ出すことができなくなる。
もっと細かい話で言えば、ずっと親知らずを抜きにいこうと思いながら、どの歯医者がいいかわからず、いつまでも病院に行くのを躊躇している人がいるような場合。その時は、ともかくgoogleで「歯医者 (あなたが通いたい地区の)地名」と検索をかけ、検索結果のトップに公式ホームページがきている歯医者さんに予約をしてみる、みたいな話である。
そうやって、物理的な命綱という名の勇気を持ちながら、同時にどんどん崖から飛び降りていこう。
そうやって行動をし続けていると、少しずつ確実に成果が上がりだすようになる。少しずつ成果を上げていけば、「成果を上げることはできる」という確信を得られるようになる。
そうなると話は加速してくる。 あなたはどんどんどんどん、次へ次へと行動できるようになる。
そうやっていけばいつしかあなたは、「ただ、できるようになるまでやっているだけの人たち」——すなわち続々と成果を上げ続けている人たち——に仲間入りしていくことができる。
——すなわち、私がサイバーエージェントで新人賞や全社MVPを獲得し、起業して3年で従業員の数を180人規模にまで育てる過程で身につけた良い習慣とは、いつも「命綱を握りしめながら、続々と崖から飛び降り続けること」である。
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