●牢獄にいるからこそ、つながることができる世界
解決のためのヒントは、牢獄の外側ではなく、内側にあります。
卑近な例を上げましょう。18歳の頃、行きつけのゲームショップの店頭で恋愛シミュレーションゲーム『ときめきメモリアル2』を見つけました。そういったゲームは「恋愛できない性的弱者を慰めるための玩具」だと考えていたのですが、割引で販売されていたこともあり、冷やかし半分で購入してプレイしてみることにしました。
「髪の色が水色だの緑色だの、こんな非現実的なデザインの女の子になんてハマらないよ」と高をくくっていたのですが、実際にプレイしてみると、女の子が自分の名前を呼んでくれるエモーショナル・ボイス・システムに脳の回路がショートするような衝撃を味わいました。最終的にヒロインの陽ノ下光と一文字茜にハマり、こっそりトレーディングカードまで買い集めるようになります。
こうした恋愛シミュレーションゲームは、言うまでもなく恋愛の経験値がゼロの男子でも楽しむことができます。シミュレーションしているのは現実の恋愛なのか、それとも架空の恋愛なのか。それともどちらでもないのか。一体自分が何をシミュレーションしているのか分からなくなってくるかもしれません。
ただ一つ確かなのは、恋愛をした経験がないからこそ、他者とつながった経験がないからこそ、恋愛シミュレーションの世界につながれる、そしてその非現実的な世界を、存分に「臨場感」を持って味わうことができる、という事実です。
仮にあなたの性的嗜好が、過去に消費したコンテンツによって固定化されてしまっているとしても、そしてそれによって他者とのつながりが妨げられてしまっているとしても、それを逆手にとることによって、別の他者や社会とつながることは可能です。
むしろ、固定化されているからこそ=牢獄にいるからこそ、つながることのできる他者や世界がある。
孤独な男子は、どうしても他者や社会をステレオタイプに捉えてしまい、それらと関わりを持つことに対して「自分には無理だ」と短絡的に判断してしまいがちですが、他者や世界はあなたの想像をはるかに超える多様性を持っています。
ネットの世界は「誰でもつながれるが、誰にもつながれない」と言われがちですが、自分の属性や現状に見合った他者や世界とつながることは、決して不可能ではありません。
●居場所としてのヌードデッサン
原千晶のヌードデッサンに没頭していた高校時代から12年後、私は法人の事業の一環として、バリアフリーのヌードデッサン会「ららあーと」を企画・開催しました。個人的な趣味ではなく、知的・発達障がい児者への性教育を目的とした事業です。
障がいのある人の中には、性に関する適切な教育を受ける機会、適切な情報を得る機会のないまま、頭の中で偏った幻想や欲求不満を募らせてしまうことがあります。母親以外の女性の裸体を全く見たことがないまま、年齢を重ねて中高年になる人も少なくありません。
そうした人に対して、デッサン会という健全かつ安全な場の中で、生身の男女の人体を見て・描いて・学ぶ機会を設けることで、性に対する幻想や偏見を解消してもらうことはできないだろうか、というアイデアが思い浮かびました。
また自分自身の体験から、普段の生活で生きづらさを抱えている人にとって、異性の裸体をデッサンするという行為が、なにがしかのガス抜きや救済になることは分かっていました。
そこで、障がいのある人以外にも、何らかの形で生きづらさを抱えている人たち、性的に疎外・抑圧されている人たちの居場所になるような空間として、ヌードデッサンを活用できないかと考え、「初心者の・初心者による・初心者のためのヌードデッサン会」というコンセプトを掲げて、ハードルを極力下げた形で参加者を募集しました。
実際にデッサン会を開催してみると、障がいのある方だけでなく、10代の学生から70代の高齢者まで、幅広い世代の方が参加してくださいました。「小学校の図工の時間以来、数十年ぶりに絵を描きました」という初心者の方から、「まだ一度も女性の裸を見たことが無い」という中年童貞の方まで、様々な人が集まる空間になりました。