デカルトの「我思う、ゆえに我在り」の秘密に迫る!

デカルトの有名な言葉「我思う、ゆえに我在り」という発見をもたらしたものはなんだったのでしょうか?「この世界には、天空も、大地も、精神も、物体もいっさい何も存在しない」と言い聞かせながら、あらゆるものの存在を疑いつつ、しかしそうやって疑っている自分の存在だけは疑えない、したがって自分はたしかに存在しているのだ、というあの発見です。『デカルトの憂鬱』の著者・津崎良典先生とともに、その秘密に迫ります!

20 デカルトは謙虚に「神と格闘する」

神の能力にはいかなる限界もありえませんが、私たちの精神は有限なのです。 ―デカルトからメラン神父への手紙 (一六四四年五月二日)

デカルトにとって「神」とは?

 毎年のように仕事で訪れるフランスはパリの滞在を、セーヌ川左岸に広がる文教地区サン・ジェルマン・デ・プレの散策から始めるのが私のお決まりです。時差を調整するのが一番の目的ですが、その際に必ず訪れる場所が二つあります。一つは散策の終着点であるサン・シュルピス教会。現在の場所に創建されたのは十三世紀のことだそうですが、十七世紀から十八世紀にかけて再建されたので、デカルトの生きていた時代に思いを馳せることができます。

 でも本当のお目当ては、教会内の聖天使礼拝堂の壁面に描かれた『ヤコブと天使の戦い』(一八六一年)というフレスコ画。ルーブル美術館に展示されている大作『民衆を導く自由の女神』(一八三〇年)などで知られるドラクロワ最晩年期の傑作です。画家は、ヤコブと天使の戦いという『旧約聖書』に出てくる主題を、選ばれし者に神から与えられた試練と解釈したうえで、ミケランジェロを思わせる隆々とした天使とヤコブの肉体美を鮮烈な色彩で表現したのでした。私はこのフレスコ画が好きなのです。

 もう一つは、散策の出発点であるサン・ジェルマン・デ・プレ教会。こちらは創建が六世紀ですから、サン・シュルピス教会よりもはるかに歴史が深い。基本的な造りは初期ロマネスク様式ですが、十二世紀には内陣がゴシック様式に拡張されました。いくつもの建築様式を同時に楽しめる小ぶりな教会ですが、ここにはなんとデカルトの墓標があるのです。

 デカルトは一六五〇年二月十一日にストックホルムで死にましたが、遺骨はその後、数奇な運命を辿りました。彼の頭蓋骨(とされるもの)の所有者は幾度も代わり、最終的に祖国フランスに戻ってきて、今はパリの人類博物館に収められています。そしてサン・ジェルマン・デ・プレ教会には、それ以外の遺骨が一八一九年二月に収められました。墓標が置かれているゆえんです。

 こうしてデカルトの墓参りをしてからパリでの滞在を始めるわけです。

 しかも私はこれらの教会を訪れるたびに、デカルトの生きた十七世紀ヨーロッパの人々にとって神とはいったいなんだったのかと、曖昧模糊とした思いを抱いてしまいます。その思いは、今日まで歴史的な重みを伝え続けている、これら石造りの教会の威風堂々とした構えに圧倒されて、強まるばかりです。

 そこで、デカルトにとって神とはなんであったか、という問いに少しばかり取り組んでみたいと思います。ここではキリスト教文化圏における神が主題となるわけですが、いずれにしても哲学者デカルトが哲学者なりに―なぜなら彼は自分のことを神学者として規定したことは一度もありませんでしたから―、神について考えていたことに探りを入れてみましょう。

 でも本当に「少しばかり」。なぜなら、このテーマはあまりに複雑であるため、一冊の専門的な研究書を捧げても論じきれないからです。ですからここでは、私が教室で学生たちによく話すことを断片的に書くことで、その難しいけれど面白いところを共有したいと思います。

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デカルトの憂鬱

津崎良典

悩みや心配、悲しみ、怒り、憎しみ……そんな「マイナスの感情を確実に乗り越えられる方法」はあるでしょうか? あの「我思う、ゆえに我在り」であまりにも有名な近代哲学の祖・デカルトが、私たちに降りかかるマイナスの状況にいかに対峙すべきか、「...もっと読む

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