​ただいま、世界じゅうのみなさん(前編)

エッセイストとして、これまで自身の過去やセクシュアリティと向き合ってきた 少年アヤさん。そんな彼がなにもかも捨て、書く仕事すらやめ、骨董品屋で働いていた日々の記録を始めます。 これは「ぼく」が、ものや人を通じて、「生」を組み立てていくものがたり、 のようなエッセイ、のようなもの。

透明になりたいと願いながら生きる「ぼく」は、とても大事な2001年を思い出します。

 地上波での放送がはじまったころ、パワーパフはすでにケーブルテレビやホビー誌のコラムを通じて、知るひとぞ知るキャラクターになっていた。インターネットにはコアなファンのつくったホームページがいくつかできていて、ぼくは分厚いノートパソコンのぐずぐずした動作にやきもきしながら、毎日夢中になって情報をあつめた。

 その結果、東京の雑貨屋に行けば、日本にいてもパワーパフのグッズが買えることがわかった。銀座のワーナーブラザーズスタジオストアに、原宿のカニバルズ、ブリスター、キディランド。そして渋谷のまんがの森に、ザ・コミックスに、新宿のトライソフト。

 それは11歳のぼくにとって、東京にはアメリカがあります、と言われているも同然だった。東京って、東京って、すごいんだ。

 なのにぼくは、毎日狭い教室に閉じ込められて、ちまちま息を吸いながら、天罰みたく算数やってる。


 そういう状況に、ぼくだけじゃなく、家族全員が耐えられなくなっていたのだと思う。

 ぼくたち家族はやがて、時間を見つけては車で東京に出かけていって、パワーパフのグッズを探すようになった。もちろんそれは表向きの理由で、ぼく以外のみんなにとっては外食をしたり、犬を歩かせたり、ほかの買い物をする時間のほうが大切だったにちがいない。しかしあのころ家族が、とくに家事負担の多い母が日常から抜け出すには、へんてこな口実が必要だったのだ。

 パワーパフは、東京は、ふだんの生活にもどったぼくたち家族にとって、南国から垂れてきた救いの糸みたいなものだったのかもしれない。


 はじめに行ったのは、銀座のワーナーブラザーズスタジオストアだった。ひとつのビルまるごとがショップになっていて、広い店内のそこかしこにトムとジェリーやトゥイーティーのスタチューがかざられている。軽快な音楽がつねに流れ、まるでテーマパークみたいな雰囲気だった。

 パワーパフのグッズは、二階のメインの棚いっぱいに並べられていた。ワーナー製のグッズは、当時いろいろなおもちゃ会社から出ていたグッズのなかで、ぼくのいちばんのお気に入りだった。うすいピンクとパープルを基調にしたエネルギッシュなパッケージと、ぜんぜん似てないぬいぐるみ。パステルカラーの陶器製フィギュア。

 はじめて売り場を見たときのよろこびは、うれしくて、信じられなくて、直視するのがこわいくらいだった。あの日フィリピンで感じたアメリカが、そのまま目の前に展開されているのだ。ぼくが惑っているあいだにも、パワーパフのグッズは飛ぶように売れていく。焦りながら、ぼくはおなじようにパワーパフを好きなひとたちの顔を横目でそわそわ見ていた。みんなもやってられないのかな。ふだんは算数やってるのかな。

 その日買ってもらったのは、ブロッサムのマスコットキーホルダーと、ハート型のピカピカしたマウスパッド、そして小ぶりな缶ケースだった。妹はたしか、ぼく以上にじっくり吟味して、ガールズの刺繍されたチューリップハットを買ってもらっていたと思う。

 パワーパフのグッズは、いつもアメリカの匂いがした。日本のものからはしない、かぐわしくて、広い感じのする匂いだった。その匂いを肺いっぱいに吸むと、ぼくはどこかとおいところへトリップして、日常を軽んじることができた。なにもかもどうでもいい、くだらないことだって思えた。


 東京であそんだ帰りの車は、いつもさみしかった。煌めく東京、昼よりもずっといきいきしだした夜の街を縫うように走りながら、なにもない、真っ平らな地元の街へ帰っていかなくてはならない。しかし、運転する父の背中を、うとうとしながら見ているのは好きだった。普段目にするどんな姿よりも、なぜかたのもしく感じられたから。母は助手席でガーガー寝息を立てていて、妹はぼくの隣で、当時まだ赤ちゃんだったトイプードルのジュディといっしょにまるくなっている。

 一瞬だけねむってしまっていたぼくは、もうぜったいにねないぞ、と決意をして、だんだんとさびれる景色とともに、消えていく日曜日を噛み締めた。

 すると、ぼくが目を覚ましたことに気がついた父が「裕一郎、ねむってていいぞ」と言ってくれる。ぼくはもうねないよ、とだけ答えて、日曜日といっしょに、命まで冷えていくようなさみしさを味わう。まるでながれる彗星が、どんどん削れながら、光を失っていくみたいに。

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ぼくは本当にいるのさ

少年アヤ

痛みと共に捨て去った、ひかりをぼくは取り戻す―― エッセイストとして、これまで自身の過去やセクシャリティと向き合ってきた 少年アヤさん。そんな彼がなにもかも捨て、書く仕事すらやめ、骨董品屋で働いていた日々の記録を始めます。 これ...もっと読む

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ayapi_and_beast ◯( ぼくは本当にいるのさ )◯ 第13回、前編がアップされました。次回最終回です。 「」 https://t.co/TRlY0kqyex 2年以上前 replyretweetfavorite

honya_arai ただいま、世界じゅうのみなさん(前編)|少年アヤ @ayapi_and_beast |ぼくは本当にいるのさ 《みんなもやってられないのかな。ふだんは算数やってるのかな。》 https://t.co/vIsxpbXF6Q 2年以上前 replyretweetfavorite

hiro_MtF ただいま、世界じゅうのみなさん(前編) https://t.co/s0RoC86FDW #スマートニュース 2年以上前 replyretweetfavorite