名刺ゲーム

リスペクト=恋心である、なんて妄想だし勘違いなんですけど。

美人マネージャーの山本から仕事の相談を受けていた神田。彼女が自分に持つ大きなリスペクトは、恋心ともイコールなはずだと思いこんでいた。しかし、タクシーの中でホテルに誘ったもののすげなく断られてしまう。「気に入った女に『失望』されたことを認めたくない」というプライドの高さから、彼女が担当するタレントをクビにして、何事もなかったように過ごしていた神田だが……。人間の弱さと狡さが炸裂する『名刺ゲーム』

Last Stage
1 神田達也

 山本司が名刺を持って部屋を出ていくと、玉虫色のスカーフの男は俺に言った。

—男の性欲に巻き込まれて仕事を失ってる人、この世に何人いるんでしょうね?

 指と爪の間に針を刺すような言葉を投げてくる。

—一九七二年、スタンフォード大学で行われた実験、知ってますか?

—今、ここで実験の話、必要ですか?

—子供に行われたマシュマロの実験。ご存じですよね?

 過去に番組のリサーチ資料で見たことがあった、﹁自制心にまつわる実験﹂。四歳の子供一八六人を一人ずつ部屋に入れる。そこにはおいしそうなマシュマロが一つ置いてある。一人だけ部屋にいた大人が﹁私が戻ってくるまで十五分食べちゃダメ﹂と厳しく言って部屋を出る。大人がいなくなった間に我慢できなくてマシュマロを食べてしまう子供は三分の二。食べない子供が三分の一。

 この実験のすごいところはここで終わりじゃないこと。実験はずっと続いていた。十六年後の一九八八年、実験をした子供は二十歳になり、その人たちを集めて大脳を撮影した。すると、実験の時にマシュマロを我慢して食べなかった人たちの脳は、集中力に関係のある部位が発達し、ほぼ社会的成功度が高く、優秀であると評価された。

—あの実験で分かること。つまりは自制心も元々の才能ってことです。

—だから何なんですか? 何が言いたいんですか?

—神田達也さん。あなたは子供の頃マシュマロを食べた方の子供ですね。

 俺にはなかったのか、自制心という才能が。

 大原マイカをクビにした理由。過剰演出のあったVTRに出ていた大原マイカを「ヤラセの共犯」だと言う上司もいた。でもそこで俺が「大原マイカは関係ない」と言い張って上司を納得させることもできた。だが「確かにそうですね」と上司の言葉に乗った。自分の番組がかつてない炎上を起こしているにもかかわらず、その炎で別の場所の火事を吹き飛ばそうと考えていた最低な男。それが俺なんだ。

 仕事場での男と女の関係。女性からの、この人は仕事ができるとか、尊敬の気持ちに対して感謝や誇らしさだけでなく、性欲の滴が垂れ始めるとバランスが崩れる。このことで悩んでいるのは俺だけじゃないはずだ。

「ミステリースパイ」がヒットするまでの俺に、売り込みに来る人は少なかった。だけど、ヒットしたら景色が一変する。女性マネージャーが必要以上に短いスカートで売り込みに来る。限界まで胸元が開いたTシャツを着た女性アイドルを連れて、事務所の社長が挨拶に来る。「是非一度、ご飯にでも」と甘すぎる誘いを見せる。

 女子アナもそうだ。番組でどのアナウンサーにオファーするかは最終的にはプロデューサージャッジになる。「ミステリースパイ」のヒットとともに、女子アナは俺とすれ違うと全力の笑顔を投げてくるようになった。食事に誘ってくる奴も出始めた。

 何度も考えた。タレントも女子アナも、もし俺がレギュラーにするから抱かせてくれと言ったら抱かせるのか? 今の自分にそれだけの力があるのか? そういう力の使い方をしているプロデューサーがいると噂で聞いたが、自分もできるのか? 自分の権力の強度を試したい衝動に駆られたが、そこまでの勇気もなかった。

 でもある時、自分の力のレベルを知ることができた。プロダクションの人に連れて行かれたキャバクラ。「ミステリースパイ」を始めてからは、そういう店に行く時間も余裕もなかった。その店は前にも先輩と付き合いで行ったことがあった。だけど、同じ店なのに、ここでも見える景色が違った。

 以前は女性が横に着くと、俺がテレビ局の名前を言った瞬間だけテンションが上がって、そこからのテンションは下降線をたどる一方だった。先輩が勝ち進んでいくための、道の整備係にすぎなかった。だけど、﹁ミステリースパイ﹂というヒット番組の名刺は違った。そこの店にはタレントの卵ばかりが在籍していた。番組名を言ったあとの俺との距離感が違った。渡された名刺に携帯の番号も書いてあった。

 自分の力がレベルアップしていたのだと実感した。その力がどこまで上がっているのか調べたい気持ちで、彼女の携帯に連絡した。その日のうちにホテルに行った。結婚してから、初めての浮気。罪悪感。それがSEXの時の最高のトッピングになった。男はみんな自信がない。だが、自信という確信を得ると、それが大きな刀になるんだ。

 あの日だったと思う。番組が当たって誉められた時よりも、キャバクラのタレントの卵の一人を抱いた時に本当の自信がついたのかもしれない。それは間違った自信なのだろうけど。自信を持つということは、性欲のはけ口の選択肢も広がることなんだと思った。

 たまにキャバクラに行き、自分の力の確認と罪悪感を楽しんだ。でも、力のレベルアップを感じていたとはいえ、タレントや女子アナに手を出すまでの自信は手に入れてなかった。自分の刀の切れ味をもっと試してみたい。自分はどこまで行けるのか? そんな時にダッシュカンパニーの山本司に出会い、名刺をもらった。

 大学時代、ミスコンで優勝したこともある彼女は、周りのスタッフの間でもかわいいと評判だった。そんな子が自分にたびたびアドバイスを聞きに来る。だから食事に誘った。彼女は喜んでいた。不思議だった。彼女と食事に行くと、自分の下心は消え始めた。彼女はあまりにも熱心に自分のアドバイスを聞き、耳を傾けメモを取っていた。俺の一言一言に大きなリアクションをする。俺に対してのリスペクトの気持ちの大きさを感じた。だから下心が消えていた、というか消すしかなかった。学校の先生もあんな気持ちなのかもしれない。なのに、食事に行くようになり半年ほど経った頃だったろうか。彼女は言ったんだ。

—神田さんって、人としても男性としても魅力的です。私が言うのもなんですけど。

 女性がさりげなく言う言葉に男はどれだけ振り回されるのだろうか。お酒のせいで頰を赤らめている彼女を見た時に、心臓から下全部がドクンと大きく脈打つのが分かった。血液が心臓から前立腺のあたりにかけて一気に回っている気がする。押し込めていたはずの下心に血が通い始めてしまった。消えることはなかった。彼女はどんなキスをするのか? どんなSEXをするのか? どんなフェラチオをするのか? 彼女と話している時に、疑問と妄想がチラついて消えない。止まらない。

 彼女に対しての過ちを振り返っている自分に玉虫色のスカーフの男は言った。

—彼女と食事している時にどんな会話してたんですか?

—どうでもいいでしょう。

—動物のHな雑学とか? チンパンジーがマスターベーションする話とか?

—そんな話はしてない。

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名刺ゲーム

鈴木おさむ

家族も部下も切り捨て、人気クイズ番組のプロデューサーまで上り詰めた神田達也。ある夜、息子を人質にとられた神田は謎の男から「名刺ゲーム」への参加を命じられる。だがそれは、人間の本性を剥きだしにしていく《狂気のゲーム》だった――。WOWO...もっと読む

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